実は珍しいネーミング!「〇〇剣」の名を持つ刀剣5選
- 2019/10/17
剣――。それは、古今東西の戦士にとって最も身近であり、己の身命を懸ける象徴的な武器として大切にされてきました。神話においても剣はとても重要な役割を果たすことが多く、対人戦闘用の武器にとどまらない「神器」としても昇華されたことがうかがえます。
日本では、いわずと知れた「日本刀」がそんな位置づけにあるものといえますが、本来「剣(ケン)」と「刀(トウ)」とは別種のものでした。両刃で真っすぐなものが「剣」、片刃で反りのあるものが「刀」で、中国武術では「剣術」と「刀術」という異なるスタイルの技として確立しています。ところが日本では、日本刀を扱う技を「剣術」と呼んでおり、刀のことであっても慣例的に「剣」と表現するのが一般的です。
古代の刀剣においても「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」や「十握剣(とつかのつるぎ)」などの名称がみられ、創作やメディア作品でも「〇〇剣」と名の付く日本刀が登場しますね。しかし、意外なことに実際に「号」や通称として「〇〇剣」と呼ばれる刀は、とても少ないのです。
もちろん命名は由来となるエピソードや物理的な特徴などによることが多く、必ずしも「剣」と名付けられる文脈ではなかったのかもしれません。そこで、とても珍しい「〇〇剣」というネーミングをもつ刀5振りを、ご紹介したいと思います!
日本では、いわずと知れた「日本刀」がそんな位置づけにあるものといえますが、本来「剣(ケン)」と「刀(トウ)」とは別種のものでした。両刃で真っすぐなものが「剣」、片刃で反りのあるものが「刀」で、中国武術では「剣術」と「刀術」という異なるスタイルの技として確立しています。ところが日本では、日本刀を扱う技を「剣術」と呼んでおり、刀のことであっても慣例的に「剣」と表現するのが一般的です。
古代の刀剣においても「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」や「十握剣(とつかのつるぎ)」などの名称がみられ、創作やメディア作品でも「〇〇剣」と名の付く日本刀が登場しますね。しかし、意外なことに実際に「号」や通称として「〇〇剣」と呼ばれる刀は、とても少ないのです。
もちろん命名は由来となるエピソードや物理的な特徴などによることが多く、必ずしも「剣」と名付けられる文脈ではなかったのかもしれません。そこで、とても珍しい「〇〇剣」というネーミングをもつ刀5振りを、ご紹介したいと思います!
七星剣(しちせいけん)
日本最古の仏教寺院のひとつである、大阪市の「四天王寺」。ここに代々伝えられてきたのが、かの聖徳太子が身に帯びたという刀、その名も「七星剣」です。剣、とは呼ばれていますが実態は反りのない直刀で、このような奈良時代以前の刀を「上古刀(じょうことう)」と区分しており、四天王寺の七星剣は国宝に指定されています。
七星の名は、刀身に北斗七星が刻まれていることに由来しており、三星や雲形、白虎などの意匠も確認され、道教など中国大陸の信仰観が表現されたものと考えられています。
「七星剣」と呼ばれる上古刀はこの四天王寺伝の一振りだけではなく、同様に北斗七星をあしらったものが伝わったり出土したりしており、ひとつの総称ともなっています。
丙子椒林剣(へいししょうりんけん)
これも七星剣と同じく四天王寺が所蔵する聖徳太子の佩刀と伝えられる上古の直刀で、国宝に指定されているものです。7世紀ごろの作とされ、この時代における最高傑作とすら例えられる完成度を誇っています。「丙子椒林」とは刀身の手もと側の平に刻まれた文字で、「丙子(ひのえね)」の年に「椒林(しょうりん)」という刀工が作刀したもの、という意味と考えられています。
隋代の中国大陸からもたらされた舶来品というのが一般的な説で、七星剣と同じく後の日本刀に見られるような「鎬(しのぎ)」がない、刃先の角以外が平らな断面五角形の刀身をもつ「切刃造り」という構造をしています。
瓜実の剣(うりざねのけん)
「瓜実の剣」とは、まだ「長尾景虎」と名乗っていた若き日の上杉謙信が、京の都へと上洛した際に後奈良天皇から拝領したと伝わる短剣です。これは真っすぐな剣身で両刃造りの、文字通りの「剣」としての姿を持っており、約18㎝と小ぶりながらも「上杉家御手選三十五腰」の一振りとして異質な存在感を放っています。無銘ではありますが「豊後安則」という刀工の手によるものと考えられており、「瓜実」の号は瓜の形のような楕円形の目釘穴に由来しています。
晴思剣(せいしけん)
苛烈で激昂しやすい性格だったと伝わる戦国武将の細川忠興。おそろしいエピソードには事欠かず、自ら手打ちにした際に使用したとされる刀も、幾振りか残っています。「晴思剣」はそんな忠興の刀のひとつで、茶坊主を装って近づいた間者(スパイ)を自ら斬り捨てたという伝説をもっています。「思いが晴れる」とまで表現されていることから、よほどの恨みや激しい思い入れを、その茶坊主に抱いていたのでしょうか。
晴思剣は南北朝時代の刀工、「左安吉」の作とされ、その父である「左衛門三郎源慶」はいわゆる「左文字」として知られる名工です。
晴思剣の刀身長は約54㎝で、いわゆる「脇差」となっていますが、本来は小刀ではなく「長巻(ながまき)」(刀身と同程度の長い柄を取り付けた長大な刀)であり、これを脇差として造り変えた「長巻直し」と呼ばれるものです。
茎には「運有天敢莫退(うんはてんにあり、あえてひくことなかれ)」という勇猛な語句が刻まれ、忠興らしい不退転の気概を感じさせます。
水龍剣(すいりゅうけん)
これは奈良の正倉院北倉に保管されていた、聖武天皇が佩用したと伝わる直刀です。8世紀の作と考えられ、長らく刀身のみであったものを明治5年(1872)の正倉院宝物修理の際に明治天皇が見出し、再研磨と外装の製作を命じたものです。水龍剣の号は、翌年に完成した拵えに水龍の意匠が用いられたことに由来しており、重要文化財として指定されています。無類の刀剣愛好家として知られた明治天皇が、時を越えて祖先の刀に再び命を吹き込んだともいえるでしょう。
おわりに
日本では「剣」「刀」「太刀」などの表記が情緒的に混在しているため、その形態は少しわかりにくいところもあります。しかし、伝統的に刀剣類をとても大切に扱ってきたことから、結果として多くの貴重な文化財が伝世しています。「〇〇剣」という号は珍しいものですが、長い歴史のなかで剣が象徴的な神器としての役割を果たしてきたことの、ひとつの名残ともいえるかもしれませんね。
【参考文献】
- 文化庁監修『国宝』8 工芸品Ⅲ 刀剣 築達榮八 編 1984 毎日新聞社
- 『原寸大で鑑賞する 伝説の日本刀』別冊宝島編集部 2018 宝島社
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