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戦国武将の呼称(あだ名編)

戦国武将たちの中でも優秀であったり、何か特色をもっている人物は大抵なにかしら異名を持っている。

主に有名どころの異名を以下にあげてみる。

  • 第六天魔王
  • 甲斐の虎・甲斐の龍
  • 軍神
  • 越後の虎・越後の龍
  • 相模の獅子
  • 日ノ本一の兵
  • 三日天下
  • 槍の又左
  • 海道一の弓取り
  • 美濃の蝮
  • 女戦国大名・戦国の姫君
  • etc...

上記のうち、一体どのくらい知られているのであろうか?

あくまでも一例をあげただけで、実は他にもたくさんの異名が存在する。早速だが、 以下にそれぞれの異名をざっと解説していこう。

第六天魔王

これは織田信長が書状にて自らを称したもの。

信長が比叡山焼討ちをした際、武田信玄は書状を信長に送ってその行ないを非難したが、その書状には「天台座主沙門信玄」と署名してあり、信長はこれに対して返書で "第六天魔王" と署名したというのである。

「天台座主沙門信玄」というのは、天台座主・覚恕法親王の下での修行者・信玄といった意味であり、仏教を信仰する信玄が神仏を深く敬って仕えることを表したものである。

また、「第六天魔王」というのは、仏教において仏道修行を妨げる魔のことを指す。

神仏を敬う信玄に対し、信長は皮肉で自らをこう称したのであろう。

このとき信長と信玄、そして、信長と家康は同盟関係であった。しかし、この後、信玄は信長への事前通告もなしに、信長の同盟国である徳川家康への攻撃を開始し、信長と信玄は敵対関係となってしまうのである。

甲斐の虎、甲斐の龍

甲斐(=現在の山梨県)を支配していた武田信玄の異名。
信玄は戦国最強の騎馬隊を有し、上杉謙信と並んで無類の強さを誇る将であった。

「竜虎相搏つ」ということわざがあり、これは同じくらいの優れた実力を持つ英雄や強豪同士が勝敗を争うことのたとえである。

川中島の戦いでの激闘にみるように、信玄とライバルの上杉謙信とは優劣つけがたい。竜と虎は強い動物の双璧のたとえであり、武田信玄と上杉謙信がまさにこれに例えられたのである。
後述するが、謙信は「越後の虎、越後の龍」の異名を持っている。信玄と謙信のどちらが龍・虎とするのかは史料によって異なるようである。

軍神、越後の虎、越後の龍

越後(=現在の新潟県)を支配していた上杉謙信の異名。

虎か龍かは、武田信玄のところでも触れたが、"越後の虎"というのは謙信の初名である"長尾景虎"をとったという話がある。また、"越後の龍"は謙信が合戦の際に "龍"の旗印を使用していたことからきているといったものもある。

次に軍神の由来についてだが、謙信は自らを「毘沙門天の化身」と称していた。
毘沙門天とは仏教における戦の神のことである。

謙信は戦場で武田信玄や北条氏康といった猛者と互角以上に渡り合い、破竹の勢いで天下統一に最も近かった織田軍をも破るなど、圧倒的な強さを誇っていたからこそ、軍神の異名が付けられたのであろう。

三日天下

ご存じ、本能寺の変で織田信長を討った謀反人・明智光秀のことである。光秀はほぼ天下を掌握していた信長を倒した後、中国大返しと呼ばれる驚異的なスピードで京へ戻ってきた羽柴秀吉に敗れてこの世を去った。

信長の死からわずかな期間の出来事であったことから、このように称されたのである。

槍の又左

これは前田利家の若きころの異名。織田信長に仕えたころの利家は血気盛んであり、戦場では多くの功をあげ、赤母衣衆(信長の直属精鋭部隊)の筆頭になった。

槍の名手であったため、"槍の又左"と呼ばれて敵に恐れられたのである。

相模の獅子

これは北条3代目の北条氏康のニックネーム。
氏康は相模国(=現在の神奈川県の大半)にある居城・小田原城を拠点に、古河公方・山内上杉氏・扇谷上杉氏・里見氏・佐竹氏・宇都宮氏といった関東の諸勢力と戦い、関東における戦いの主導権を確保して勢力を拡大した実績をもつ。

上杉謙信や武田信玄と三つ巴の戦いを展開するほどの文武を兼ね備えた名将であったのだ。

美濃の蝮(マムシ)

斎藤道三は僧侶、そして油商人から美濃長井氏に家臣として仕えるようになると、主君の長井氏、続いて美濃守護の土岐氏をも追放して美濃国を統一した経歴を持つ。下克上によって戦国大名にまでのし上がったその人物像はマムシに例えられ、"美濃の蝮"と呼ばれたようである。

日ノ本一の兵(つわもの)

これは真田幸村の死後、島津義弘の子・忠恒が幸村を評したもの。これは幸村が大阪夏の陣で敗れたものの、3度もの突撃によって家康が自害を覚悟したほどに追い込むほどの戦いぶりをしたことが所以であろう。

海道一の弓取り

このあだ名は今川義元徳川家康の2人が持っている。

「海道」とは東海道を指し、今川義元も徳川家康もその支配地域は東海道であった。「弓取り」とは武士を指し、鎌倉武士が弓騎馬で戦っていたことに由来する。

今川義元といえば、桶狭間の戦いで有名な将で信長の引き立て役といった印象をもつが、実は歴代の今川氏の中で最大勢力(駿河・遠江・三河)を築いており、そのころの家康は義元の家臣の一人にすぎなかった。

しかし、家康は義元のさらに上を行く。

義元の死後に今川氏から独立し、三河国(=現在の愛知県東部)の戦国大名として出発すると、信長死後には義元以上の勢力圏を築いているのである。

女戦国大名、戦国の姫君

あまり知られていないかもしれないが、寿桂尼(じゅけいに)は駿河の戦国大名・今川義元の母であり、女戦国大名とか戦国の姫君と呼ばれた。

寿桂尼は義元の兄・今川氏輝が当主となった時、氏輝がまだ若くて病弱でもあったため、後見人を務めた。そして今川領の統治の多くを寿桂尼が代行していたとみられている。戦国大名としての役割を担っていたということであろうか。


戦国武将たちの異名とその由来をいくつか挙げてみたが、いかがだったであろうか?

まだまだ紹介しきれていないものもあるので、今後も追記していこうと思う。


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