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お城の基礎知識まとめ。縄張・曲輪・天守・石垣・土塁・堀 etc…

お城のイメージ画像
敵に攻め込まれた際の防御拠点として築かれたお城。城内には食糧や武器が貯蓄され、合戦の拠点としての機能の他に住居としての側面も併せ持っている。
本記事では、城に関する一般知識を伝えるべく、お城の構造や役割など基礎知識をわかりやすくまとめてみた。

お城の設計・構造・分類

─ 縄張と曲輪 ─

お城を造るためには当然のごとく設計が必要になってくるが、その設計は縄張(なわばり)と呼ばれ、城を造る際に縄を用いて長さを測ったことがその由来である。

そしてお城の区画には、城主の住む本丸御殿や天守などが配置された城の中心「本丸」、それに隣接する「二の丸」、その外側に一する「三の丸」などがあり、城の区切られた空間のことを曲輪(くるわ)と呼ぶ。


─ 曲輪の配置 ─

城は立地に合わせて縄張が決定され、複数の曲輪が組み合わさって配置される。曲輪の配置は、以下の図のように輪郭式や連郭式等いくつかに分類される。


  • 輪郭式(りんかくしき):本丸を囲む二の丸、二の丸を囲む三の丸といった配置。
  • 連郭式(れんかくしき):本丸と二の丸を一列に並ぶ配置。
  • 梯郭式(ていかくしき):本丸を隅に配置し、周囲の2方向、あるいは3方向を他の曲輪で囲む配置。
  • 渦郭式(かくしき):本丸を中心として二の丸、三の丸を渦巻き状に配置。

─ 地形による分類と変遷 ─

お城は地形から主に「山城」「平山城」「平城」の3つに分類できる。これらの城は時代の流れとともに、山城→平山城→平城 というように主流が変わっていった。


1.山城

山城は南北朝時代~戦国時代初期に主流だった城である。見晴らしのよい山の地形をそのまま活用し、山肌に造られた天然の要塞で軍事的側面が強い。合戦で敵に攻められたときには防御しやすく、最終的に籠城するのにも便利であった。ただ、山の上では物資の運搬や水の確保が厳しかったため、普段は山のふもとの館で生活をしていたようだ。

山城の普請は、斜面を削り、平面な場所を造るのに大変な労力を必要とした。このため、各曲輪の面積を狭くして数を多く(20~30程度は普通)補う等したらしい。代表的な山城の例としては、 岐阜城(岐阜)、岩村城(岐阜)、竹田城(兵庫)、高取城(奈良)などがある。

2.平山城

戦国時代中期以降に主流となり、軍事的側面と政治・経済的側面の両方を併せ持つのが平山城である。

鉄砲が普及すると、合戦において城内が射程距離に入らないようにするため、堀の幅を長くして広いスペースを確保する必要性が生じた。合戦の減少にともない、領国支配の強化にシフトしていくと、戦国大名らは山城から領民の住む領地に近い丘や平地などに移動していったのである。

平山城はこうした時代の変化から小高い丘を中心に築かれるようになった。山城ほど険しくなく、平地も併せもっているためにスペースにもゆとりが生まれ、曲輪の数は山城より少ない。かの有名な織田信長が居城・岐阜城下で行なった楽市楽座は、領国の町を活性化させる政策であった。また、信長は以下のように大きな影響を与える城造りを行なったことでも知られている。

  • 本格的な石垣による防備(岐阜城・安土城)
  • 天主(=御殿のこと)に高価な漆で壁を塗り、屋根の瓦に金箔を貼るなど(安土城)
  • 権力の象徴として見せる城づくり(安土城)

信長の革新的な城造りは他の大名らも模倣していくことになる。代表的な平山城の例としては、 安土城(滋賀)、彦根城(滋賀)、姫路城(兵庫)、仙台城(宮城)、熊本城(熊本)などがある。

3.平城

平城は戦国時代終盤~江戸時代初期に多く築かれ、政治・経済的側面の強いタイプの城である。戦乱が鎮まった頃には、お城は権力の象徴と領国支配のための役所としての色を濃くしていく。城主の居住空間で政務も行なう「御殿」が城の中心地に造られ、権力の集中と家臣の増加によって多くの家臣を近くに住まわせるために城下町も発展していった。やがて御殿の数も増えて、お城の面積も広大になっていった。

平城はこうした広大な平地に築かれ、政務をとることを主な目的としたのである。代表的な平城の例としては、豊臣秀吉が築いた大阪城(大阪)や江戸幕府の政庁となった江戸城(東京)をはじめ、名古屋城(愛知)、二条城(京都)、広島城(広島)などがある。


お城の象徴「天守」

お城といえば天守というほど、お城のシンボルとなっている天守。天守とは城の中核(本丸)に位置し、城を代表する建物である。ただし、「城=天守」ということではなく、天守はあくまでも城内の一建造物であり、中には天守がない城もある。

天守は織田信長が安土城に「天主」と呼ばれる建築物を造ったのがはじまりとされ、以来、天守は城のシンボルとなって造成が流行となった。天下統一を成し遂げた秀吉の大阪城や徳川家康の江戸城に巨大な天守が築かれたのは広く知られているだろう。

─ 天守の分類 ─

天守は、その構成から「独立式」「複合式」「連結式」「連立式」の4つに分類される。


  • 独立式天守:天守だけ単独で建てられたもの。代表的な城に丸岡城、宇和島城、高知城など。
  • 複合式天守:天守に付櫓という櫓or小天守が直結した形式。代表的な城に福山城、犬山城、彦根城、松江城など。
  • 連結式天守:天守に渡櫓で小天守をつなげた形式。代表的な城に名古屋城、広島城、松本城など。
  • 連立式天守:天守と二基以上の小天守や隅櫓を内側の空間を取り囲むように渡櫓でつなげた形式。代表的な城に姫路城、松山城など。

上記の他、「望楼型天守」「層塔型天守」といった分類もある。

  • 望楼型天守:初期型の天守。1~2階建ての大きな小母屋造りの建物に三重三階の望楼を乗せた形。
  • 層塔型天守:後期型の天守。上階を下階より段階的に小さくして積み上げる。天守各階の柱の位置がずれている。

─ 天守の構造 ─

さまざまな天守をみてきたが、ここで天守の構造にも少し触れてみたい。

まず天守の屋根について。天守の屋根は「破風」と呼ばれる屋根の端部が複数組み合わされて構成されてできており、破風には以下のような形式のものがある。


  • 入母屋破風(いりもやはふ):構造上必要なもので最上階に必ずある。
  • 千鳥破風(ちどりはふ):屋根に乗った三角形の出窓。
  • 唐破風(からはふ):丸くてなだらな曲線を描いている。
  • 切妻破風(きりづまはふ):主に1階の出窓の上につけ、軒先にまで出っ張る。

次に天守の仕掛けをみてみよう。例えば、通路は狭くて階段は狭くて急な造りになっており、最上階に登れば、遠くの敵の様子まで見ることができる。この他、以下のような仕掛けも備えている。


  • 石落(いしおとし):城壁を上る敵に対して石や鉄砲をあびせる仕掛け。
  • 狭間(さま):弓矢や鉄砲で攻撃するための、丸や四角などの穴。
  • 破風の間:破風の屋根裏で、鉄砲を使える攻撃の陣地に。

このように、天守には合戦に備えて様々な工夫が施されており、敵が侵入しにくい構造になっているのである。なお、意外なことに城主は平時だけでなく合戦時でさえも天守に入ることはほとんどなかったらしい。ふつう、城主が天守に上るのは、儀式の一環として合戦の最期の局面で切腹する場合など、特別な場合だけだったというから驚きである。

お城の土台「石垣と土塁」

石垣(いしがき)は石を積み上げ、土塁(どるい)は土を盛って固めてできた壁であり、いずれも城の防御や建物の土台の役割を果たす。まずは石垣について。

─ 石垣 ─

石垣造りはより高くてより急な勾配であるほど防御能力が高くなる。使用する石の加工程度により、「野面積」「打込接」「切込接」の3つに分類することができる。


  • 野面積(のづらづみ):主に天然石を積み上げる。隙間が多くて敵に登られやすいが、排水性には優れる。
  • 打込接(うちこみはぎ):隙間を減らすため、接合部分を加工した石を使用して積み上げる。空いた隙間には間詰石を詰める。
  • 切込接(きりこみはぎ):隙間がなくなるまで加工した石を使用して積み上げる。隙間がなく排水できないために排水口が設けられている。

石垣造りは技術の進歩とともに「野面積」→「打込接」→「切込接」へと、より隙間のない石垣へと発展していったという。また、石の積み方によって「乱積」「布積」の2つにも分類できる。

  • 乱積(らんづみ):不揃いの石を積む。
  • 布積(ぬのづみ):目が横に通るように水平に揃えて積む。整層積み(せいそうづみ)とも呼ばれる。

石垣は表面だけでなく、見えない裏の部分にも石材が使用されるため、大量の石が必要であった。石材が十分に確保できない土地などでは、不足した石材を補うため、墓石や石仏・古墳の石棺、土塁などを石垣の一部に利用したりしていたという。また、石垣の裏側の石材は、雨で崩壊しないように水はけをよくするため、表面上の石が崩れないように固定するために使用された。

戦国時代の城は、石垣の利用は部分的で小規模なものに過ぎなかったが、その中で本格的に石垣を全面に使用したのは信長の安土城だった。信長は安土城を築城する際、穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる石垣施工の技術者集団を動員したといわれている。 信長死後、彼の天下統一事業を継承した豊臣秀吉は、その穴太衆をも引き継いで大阪城の築城の際に彼らを動員。大阪城は人目につく場所に巨石を使って石垣が築かれ、10以上もの巨石を残しているのである。

─ 土塁 ─

土塁造りには通常、堀や曲輪を造ったときに出る土砂を利用した。土塁は土居(どい)ともいい、土をたたき固めて造った土塁をたたき土居、土塁の斜面の崩落を防止するために芝が植えられた土塁を芝土居という。

土塁は石垣にするための石が入手しにくい場所などで多用されたといわれている。土塁は関東や東北など東国の城に多く見られ、近畿より西国の城にはあまり使用されていないようだ。


城への侵入を防ぐ「堀と橋」

巨大な溝である「堀」と、城の内外を結ぶ要となる「橋」は城への侵入を防ぐための仕掛けとして欠かせない。

─ 堀 ─

堀には空堀(からぼり)水堀(みずぼり)があり、山城の場合は水をためておくことは難しいことから水の入っていない空堀が多用された。

空堀は薬研堀(やげんぼり)と呼ばれる、堀底が漢方薬の調合で使用する薬研のようにV字形の断面をもつものが一般的だった。また、防御のための様々な工夫として以下のようなものも造られた。

  • 竪堀(たてぼり):敵の左右方向への動きを封じるため、斜面に縦に造られた堀。
  • 障子堀(しょうじぼり):堀底をいくつもの空間に区切るように土塁で障害物を設けた堀。畝堀(うねぼり)とも。土塁の上り下りさせることで移動を妨げ、雨水があるときには足が抜けづらくなるなど、敵の侵入を遅らせる効果があった。

一方、堀に水を張った「水堀」は、平山城や平城が出現してから多く造られるようになった。水堀は敵が泳いで渡れなくするためや鉄砲が届かないようにするために、堀幅は広く、堀底にはつるの長い植物を植えるなどの工夫がされた。また、堀底は毛抜堀と呼ばれるU字形の断面をもつものや、箱堀と呼ばれる堀の底が平らのものが多用された。


─ 橋 ─

城の橋は木橋(きばし)土橋(どばし)の2つに分類でき、木橋は木製で多くの城で使用され、撤去も可能なものもあった。また、土橋は堀をつくる際に土を残したり盛り上げたりして作った橋であり、撤去はできないが耐久性は高かった。


橋は敵の城内への侵入にも利用されるため、様々な工夫が施された。防御面においては、縄などを利用して橋を撤去することが可能な拮橋(はねばし)を使用したり、敵の大軍を足止めするために橋の幅を狭くするなどした。また攻撃面においては、橋の周辺の塀の狭間や櫓などから弓矢や鉄砲で攻撃可能な仕組みがあった。


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