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お城の基礎知識(3)

お城の土台・石垣や土塁について

【目次】

石垣(いしがき)は石を積み上げ、土塁(どるい)は土を盛って固めてできた壁であり、いずれも城の防御や建物の土台の役割を果たします。

石垣

石垣造りはより高く、より急な勾配であるほど防御能力は高くなります。
そして、使用する石の加工程度により、「野面積」「打込接」「切込接」の3つに分類することができます。

石垣の分類

石垣の加工程度による分類。

  • 野面積(のづらづみ):主に天然石を積み上げます。隙間が多くて敵に登られやすいものの、排水性には優れています。
  • 打込接(うちこみはぎ):隙間を減らすため、接合部分を加工した石を使用して積み上げます。 空いた隙間には間詰石がつめられます。
  • 切込接(きりこみはぎ):隙間がなくなるまで加工した石を使用して積み上げます。隙間がなく排水できないために排水口が設けられています。

石垣造りは技術の進歩とともに「野面積」→「打込接」→「切込接」へと、より隙間のない石垣へと発展していきました。

また、石の積み方によって「乱積」「布積」の2つにも分類できます。

  • 乱積(らんづみ):不揃いの石を積みます。
  • 布積(ぬのづみ):目が横に通るように水平に揃えて積みます。整層積み(せいそうづみ)とも。

石垣は表面だけでなく、見えない裏の部分にも石材が使用されるため、大量の石が必要でした。 石材が十分に確保できない土地などでは、不足した石材を補うため、墓石や石仏・古墳の石棺、土塁などを石垣の一部に利用したりしていました。

また、石垣の裏側の石材は雨で崩壊しないように水はけをよくするためや、表面上の石が崩れないように 固定するために使用されました。

戦国時代の城は石垣の利用は部分的で小規模なものに過ぎなかったが、その中で本格的に石垣を全面に使用したのは織田信長の安土城でした。
信長は安土城を築城する際、穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる石垣施工の技術者集団を、その高い技術力を買って動員したといわれています。
信長の死後に天下統一事業を継承した豊臣秀吉は穴太衆も引き継ぎ、大阪城の築城で彼らを動員しました。その 大阪城は人目につく場所に巨石を使って石垣を築き、10以上もの巨石を残しています。

土塁

土塁造りには通常、堀や曲輪を造ったときに出る土砂を利用しました。
土塁は土居(どい)ともいい、土をたたき固めて造った土塁をたたき土居、土塁の斜面の崩落を防止するために芝が植えられた土塁を芝土居といいます。

土塁は石垣にするための石が入手しにくい場所などで多用されたといわれています。 土塁は関東や東北など東国の城に多く見られ、近畿より西国の城にはあまり使用されていません。

土塁の例

堀と隣に位置する土塁、城の土台となる土塁



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