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【逸話】本能寺の変の報を知った秀吉や官兵衛の反応は!?
──天正10年6月(1582年)

天正10年6月2日(1582年)、京都では本能寺の変が勃発し、ほぼ天下を手中に治めていた信長がまさかの死を遂げた。その頃、羽柴秀吉黒田官兵衛らは毛利氏との戦いの最中であり、備中高松城を攻めていた。

これは、秀吉と官兵衛が信長の死をいち早く知ったときの話である。

── 備中高松城 ──

信長の死の翌日、京都の長谷川宗仁から官兵衛のもとに飛脚がやってきた。

黒田官兵衛アイコン

官兵衛

・・いかがしたのじゃ?

飛脚

はっ!それが実は・・・・・。

家来アイコン

どこか伏し目がちの飛脚はそう言いつつ、手紙を官兵衛に渡した。そして官兵衛が手紙に目を通すと・・・

黒田官兵衛アイコン

官兵衛

!!!
こっ、これは真のことか!?

驚きを隠せない官兵衛は飛脚に対し、

黒田官兵衛アイコン

官兵衛

お前はなんて早くきたことか!
むむうっ。このことは決して誰にも話してはならぬぞ!

飛脚

ははっ!

家来アイコン

官兵衛は飛脚に口止めをして、秀吉のもとへ赴いて、その手紙を渡した。

秀吉

!!!!!
う、うそじゃ!まさか・・・こ、こんなことが・・・。

<a href='http://sengoku-his.com/hideyoshi'>豊臣秀吉</a>アイコン

あまりに突然の出来事に秀吉は絶句し、そして深い悲しみに覆われた。

そして、まだ秀吉がなんとも言葉ならないうちに、官兵衛は秀吉に歩み寄って、秀吉の膝をトントン と打って "ニコッ" と笑いながらこう言ったのである。

黒田官兵衛アイコン

官兵衛

殿!ご運が開かれる手始めでございますな。どうかうまくなされませ。

秀吉

!!!

豊臣秀吉アイコン

しばらくして、ようやく秀吉が言葉に出した。

秀吉

・・・官兵衛よ。
その飛脚が万一でも誰かに語り、敵に漏れでもしたら都合が悪い。急ぎで殺すのじゃ!!

豊臣秀吉アイコン

そう命じた。これに官兵衛は心の内で考えた。

黒田官兵衛アイコン

官兵衛

(この飛脚がわずか2日足らずでここへ来たということは、まさに天の遣いだ。殺すべき科もなく、むしろ功ある者だ。)

と・・・。そして官兵衛はこの飛脚を自分の陣へ連れて帰り、秀吉の命に背いて隠し置いたのであった。

一方、秀吉はこの一件があってからというもの、官兵衛に心を許さなくなったという。


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