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福島正則の名言・逸話まとめ

酒癖に泣く・・

あるとき、泥酔していた正則は家臣に切腹を命じた。翌朝になって間違いに気付いたが、もはや取り返しがつかず、その家臣の首に泣いて詫びたという。
また、ある酒席で黒田官兵衛の家臣・母里友信に酒を大杯で勧めたものの、断られた。このとき正則は「飲み干せたならば好きな褒美をとらす」と言って「黒田武士は酒に弱く酔えば何の役にも立たない」と挑発した。
これに対し、元々酒豪だった母里友信が酒を一気に飲み干した。こうして正則は家宝の槍である、秀吉から拝領した名槍「日本号」を取られてしまったという。

合戦での並び

ある人が合戦前の人の並べ方について正則に聞いたところ、正則は「合戦の前で人の並べ方は決められないものだ。たとえ決めたとしても先だって功をあげようとする者は前にでるし、臆病者は後ろにさがるから、後が先になり、先が後になるものだ」と述べたという(『名将言行録』)。

朝鮮出兵でねらわれる

朝鮮出兵で正則は敵兵に三度も狙われた。それは正則が関白・秀吉の叔父にあたるから正則さえ撃てば、戦に勝てるとの考えであったが、正則はことごとくこれを打ち破ったため、その後はあえて近づいてもこなかったという(『名将言行録』)。

関ヶ原の戦い

  • 三成挙兵を予知

    会津の上杉景勝討伐に出るとき、家康率いる東軍の諸将はみな、その困難さに難色を示したが、家康は景勝を生け捕りにしてみせると意気込んだ。これに正則は「1人の将が命を投ずれば、多くの将も進めぬと申します。まして上杉勢は4万もの敵です。無茶してはなりませぬ。勢い盛んな者は衰退も早いと聞きます。いましばらく兵を留めて様子をみてくだされ。」と進言した。そして、その二日後には石田三成が挙兵したという(『名将言行録』)。

  • 後ろ向きで退却

    関ヶ原で東軍が完全に勝利し、西軍が退いた中で唯一、島津義弘の隊だけが東軍めがけて突進してきたときのことである。
    このとき東軍の先手が浮足だちはじめると、正則は単騎で島津勢に向かおうとしたが、従兵たち大勢が馬に取りついて無理やり引き止められた。正則はこのとき「仕方がない」と歯ぎしりして引き戻されたが、「敵に背はみせたくない」と言い、馬上で身体をねじって後ろ向きに引き返したという(『名将言行録』)。

  • 三成を慰める

    関ヶ原で敗戦した石田三成が捕えられると諸将らは争って三成に腹いせをした。三成が怒って武将の心得を述べると、これに正則は「至極もっともなことだ。武将たる者はみなそのように考えなければならない。決して恥じることではない」と言って三成を慰めたといい、他の諸将らは皆、正則のことを誉めたという(『名将言行録』)。

その他

  • 馬と槍

    正則は馬と槍に関し、「馬上で槍を使って人を突く際におもわず落馬することもある。馬に突かせるのがよい」と。また、「馬は小さい方がよい。具足を付けていては大きな馬には乗りにくいものだ。また槍は短くすべきではない。広場の戦や船戦などでは少しでも長くしたいものだ」と述べたという(『名将言行録』)。

  • 人の心

    ある人が「今の世の中では人の心が欲深く悪くなっていくばかりだ」と嘆くと、正則は「そうでもない。何か忙しいときや、なにかのはずみに人の心は美しくなるものだ。昔から人の心は元々悪いものだと言い伝えられているようだが、もしその通りなら今は最悪の時のはずだ。しかし、それほどでもないから、これから考えてみるるとまあまあというところではないか。」と言ったという(『名将言行録』)。

  • 百姓の首をはねる

    正則の家臣による税の取り立てに不服とした広島の百姓6人が江戸に赴いてきて訴状を提出したときのこと。
    これを聞いた正則は台所役人に対し、遠方からきた百姓らに食事のもてなしをするように命じた。百姓らは大変喜び、訴えられた正則家臣は処罰を恐れて生きた心地がしなかった。
    しかし、正則は百姓6人を呼び出すと、その者ら全員の首をはねてしまった。正則は「銀の五百、六百目を取り立てすぎた程度のことで、わしの前途安泰を見届けるために妻子を国に置いてくれている家臣たちを窮地に追い込むとは思いもよらぬことだ。なんとも憎い百姓どもか!」と言ったので家臣らはみな、感激して涙を流したという(『名将言行録』)。

  • 無実の罪

    安芸広島に入国する際に船に地嵐と呼ばれる風が吹いたため、「国入りの初めに地が荒れてよきものか」として何の罪もない水主を斬り捨てたという(『遺老物語』)。


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