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豊臣秀吉の年表

略年表

天文6年(1537年)
木下弥右衛門の子として誕生。※1536年(天文5年)説あり。
天文19年(1550年)
侍になるために遠江国へ向かったという。

信長家臣時代

天文23年(1554年)頃
織田信長に小者として仕える
永禄4年(1561年)
浅野長勝の養女で杉原定利の娘・ねねと結婚する。
永禄11年(1568年)
信長が足利義昭を奉じた上洛作戦での観音寺城の戦いに参戦
永禄12年(1569年)
北畠家の攻略戦・大河内城の戦いに参戦。
元亀元年(1570年)
  • 金ヶ崎の戦いに従軍。
  • 浅井長政への報復戦・姉川の戦いに従軍。
  • 比叡山延暦寺に篭った浅井・朝倉軍と志賀の陣で対陣。
天正元年(1573年)
小谷城の戦いに参戦、戦後、長浜城主となる。
天正3年(1575年)
武田軍に大勝した長篠の戦いに従軍。
天正5年(1577年)
  • 信貴山城の戦いに従軍し、功をあげる。
  • 中国方面の指揮官に任命され、播磨国へ侵攻。
  • 第一次上月城の戦いに勝利し、尼子氏再興軍に上月城の防衛を任す。
天正6年(1578年)
  • 播磨国・別所長治の謀反で勃発した三木合戦で三木城を包囲。三木の干殺しと呼ばれる兵糧攻めで翌々年までに攻略する。
  • 第二次上月城の戦いでは信長の命で援軍をだせず。
  • 同年、信長家臣の荒木村重の謀反により、有岡城の戦いに加わり、翌年までに開城させる。
天正7年(1579年)
備前国・美作国の大名・宇喜多直家を服属させる。
天正9年(1581年)
鳥取城の戦いで毛利家臣・吉川経家を下す。
天正10年(1582年)
  • 備中高松城の戦いに参戦。その最中に本能寺の変が勃発すると、これを知って光秀討伐に向かう(中国大返し)。
  • 信長の弔い合戦となった山崎の戦いで明智光秀を滅ぼす。
  • 清洲会議で織田信忠の子・三法師を擁立し、柴田勝家と対立するようになる。

秀吉の台頭と豊臣政権の樹立

天正11年(1583年)
賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を滅ぼす
天正12年(1584年)
小牧・長久手の戦いで徳川家康・織田信雄連合と交戦し、のちに信雄と単独講和。
天正13年(1585年)
  • 紀州征伐を行ない、紀伊国を平定。
  • 四国攻めで長宗我部氏を攻略し、四国を平定。
  • 富山の役で佐々成政を降伏させて越中国を平定。
  • 同年、関白となって事実上の豊臣政権を樹立。

天下統一へ

天正14年(1586年)
  • 戦うことなく、上杉景勝・徳川家康・真田昌幸らを臣従させる。
  • 同年、正親町天皇から豊臣の姓を賜る。
  • 九州征伐を開始させる。
天正15年(1587年)
  • 九州征伐で島津氏を降伏させ、九州を平定。
  • 戦後、従二位権大納言に叙任される。
  • バテレン追放令、関東・奥羽惣無事令(=私闘禁止令のこと)を発布。
天正16年(1588年)
海賊禁止令、刀狩令を発布する。
天正18年(1590年)
  • 小田原征伐で北条氏を滅ぼす。
  • 奥州仕置を実施。
  • バテレン追放令、関東・奥羽惣無事令(=私闘禁止令のこと)を発布。
天正19年(1591年)
奥州再仕置軍を編成し、九戸政実の乱などを鎮める。

朝鮮出兵と晩年

文禄元-2年(1592-93年)
文禄の役で朝鮮出兵を実施。
文禄2年(1593年)
淀殿(茶々)との間に子(のちの豊臣秀頼)が誕生する。
文禄4年(1595年)
豊臣秀次事件が勃発。
慶長2-3年(1597-98年)
慶長の役で朝鮮出兵を再開。
慶長3年(1598年)
後継者の豊臣秀頼を徳川家康や前田利家らに託して死没。享年62。


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