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【名場面】敗戦後、家康や東軍諸将と対面した石田三成(1600年)

※『名将言行録』『常山紀談』ほか

慶長5年(1600年)の9月25日、関ヶ原で敗れた三成は、近江浅井郡に逃れ、再挙を図ろうとしていたが、ついに田中吉政の家臣・田中長吉に捕らえられることになった。

-- 大津、家康の陣にて --

三成一行が家康の陣に到着して、その門外でしばらく待っていると、家康の陣に赴こうとする諸将が次々とその前を通り過ぎていった。

福島正則が通りがかり、三成をみつけると馬上から大声で叫んだ。

福島正則

汝は無益の乱を起こして、今のそのザマはなんだ!!

福島正則アイコン
石田三成アイコン

石田三成

わしの武運が劣っていたばかりに、貴様を生け捕り、このようにすることができなかったのが無念だ。

続いて黒田長政が通りがかると・・・

黒田長政

不幸にもこのようになられ、さぞかし不本意であろう。

黒田長政アイコン
石田三成アイコン

石田三成

・・・・

そして長政は、三成の汚れた服装を見ると、陣羽織を脱いで三成に着せたのであった。

一方、小早川秀秋は三成が家康の陣に到着したことを聞くと、三成の姿を一目見ようと、細川忠興が制止するのも聞かず、三成の元に赴いた。

石田三成アイコン

石田三成

!!!

秀秋を見た三成は・・

石田三成アイコン

石田三成

汝が二心を抱いていたのを知らず、わしは愚かだった。
だが、太閣殿下の恩を忘れ、義を捨てて約に違い、裏切った貴様は、武将として恥じる心ではないか?

これに秀秋は大いに赤面し、その場を立ち去ったという。

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その後、家康が門外にいる三成を呼び出して対面した。

徳川家康

どのような武将でも、戦に敗れることは昔からあることじゃ。なんら恥ではない。

徳川家康アイコン
石田三成アイコン

石田三成

ただただ天運により、こうなったまでのこと。今すぐにでも首を刎ねて頂きたい。

こうして家康は三成の引見を終えると・・・

徳川家康

さすがに三成には大将の器量がある。平宗盛とは大いに異なる。

徳川家康アイコン

と言い、家臣の本多正純に三成を預けたのであった。

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本多正純

秀頼公はまだ年も若く、事の是非もお分かりにならないのであるから、ただ太平を保つという道をとるべきであったのに、貴殿は無益の軍を起こして、このような恥辱を受けることになったのだ。

本多正純アイコン
石田三成アイコン

石田三成

わしは土民から身を起こし、太閤殿下から国を賜った御恩はたとえようもない。
世のさまを見れば、徳川家を滅ぼさずには、豊臣家のためにならないと思い、上杉景勝、宇喜多秀家を初めとして、意見の異なる者も強いて勧め、軍を起こしたのだ。

石田三成アイコン

石田三成

ところが戦いに臨んで、二心ある輩が裏切ったがゆえ、勝つべき戦に負けたのは口惜しい。志を失って運が尽きたから、源義経も衣川で命を落としたのだ。
わしが負けたのは天命である。

本多正純

智将は人情を計り、時勢を知るというが、諸将の意見が異なるにもかかわらず、軽々しく挙兵したものだ。戦に敗れても自害もされないで捕まったのは、貴殿らしくもない。

本多正純アイコン
石田三成アイコン

石田三成

貴様は武略のことを何もわかっておらんな・・。

本多正純

くっ!

本多正純アイコン
石田三成アイコン

石田三成

自害して人の手にかかるまいというのは、取るに足りない侍のすることだ。
源頼朝が伊豆土肥の杉山で朽木の洞に身を潜めていた思いなど、全くわかるまい。しかし、その頼朝も、大庭のような者に捕らわれたなら、貴様にあざ笑われるであろう。

石田三成アイコン

石田三成

貴様に大将の道を語ったところでその耳には入るまい。

本多正純

ぐぬうっ!

本多正純アイコン

三成はそう言って、その後は口を聞かなかった。


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