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【名場面】石田三成の最期のとき(1600年)

慶長5年(1600年)の9月16日、関ヶ原で敗れた三成は生け捕りにされ、25日には家康の陣である大津へ連れて行かれ、家康と対面し、その翌26日には家康が大阪城に入った。
三成のほか、生け捕りにされた小西行長・安国寺恵瓊をあわせた3人も大阪に移された。

これはその頃に、3人が家康から小袖を与えられたときの話である。(『常山紀談』『武功雑記』『名将言行録』ほか)

-- 大阪 or 堺 --

与えられた小袖をみて、小西行長は言った。

小西行長

寒さを凌ぐように賜りましたこと、かたじけなく存じます。

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安国寺恵瓊もそれををみて・・

安国寺恵瓊

それでは着よう。

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しかし、小袖をみた三成は・・

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石田三成

それは、どこからのものだ?

小西行長

これは上様からだ。

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石田三成

上様とは誰のことか?

小西行長

はあ?江戸の徳川内府家康様のことだ。

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石田三成

上様がご他界になったのは、ついこの間のこと。そなたらは早くも家康を上様と呼ぶのか。

そう言って、三成は小袖を着ることはなかった。

-- 慶長5年10月1日 --

いよいよ処刑の日を迎えたときの話である。(『茗話記』)

京都所司代・奥平信昌に引き渡された3人は洛中を引廻された上で、刑場である六条河原に向かっていた。

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石田三成

うう、喉が渇いた。湯を飲ませてほしい。

警固の者

湯はないが、干し柿ならある。喉が渇いているのなら、これを食べよ。

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石田三成

それは痰の毒であるから食べぬ。

警固の者

はああ?これから首を刎ねられる人が毒だからと食わないなどというのは、おかしなことだ。

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他の警固の者たち

他の警固の者たち:ぶひゃひゃひゃひゃひゃ(大笑)

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石田三成

貴様らのような者にとってはもっともであろうが、大義を思うものは、たとえ首をはねられる瞬間まで命を大事にするものであり、何とかしてその本意を達しようと思うからだ。

三成はそう言い、最期となった六条河原の処刑場では普段と変わらない表情だったということである。




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