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石田三成の家紋・家系図

家紋

大一大万大吉
大一大万大吉(だいいちだいまんだいきち)

大一大万大吉の文字の意味は、"一"は「カツ=勝つ」、"万"は「よろず=すべて」、"吉"はそのまま「吉」とし、これらの文字に "大"を加えて縁起を良くしたといい、鎌倉時代の源平合戦の頃に石田次郎為久が使用したという。

この家紋は石田家が足軽に貸し出していた甲冑の胴に残されている他、三成の肖像画に裃の紋として、一級史料『関ヶ原合戦屏風』に旗紋としてそれぞれ描かれている。

家系図

石田三成の父母

父は石田正継で、母は瑞岳院。

石田三成の兄弟

兄に石田正純。この他、妹が2人いる。

石田正純(兄)
弟の三成と共に秀吉に仕官し、三成と同様に奉行として活躍。関ヶ原で父・正継や長男・朝成と共に自害した。
女子(妹)
福原長堯の正室。
女子(妹)
熊谷直盛の正室。

石田三成の妻子

三成の正室は宇多頼忠の娘・皎月院。この他に側室との間に数人の庶子がいたとの伝承もあるため、側室もいたとみられている。

皎月院(正室)

三成との間に三男三女を設けたという(=異説もあり)。

  • 重家(嫡男)
    関ヶ原合戦(1600年)では豊臣家の人質として大坂城に留め置かれた。関ヶ原で敗戦を知ると、 乳母らに伴われて京都・妙心寺の寿聖院に入り、住職によって剃髪して仏門に入れられた。若年だったこともあり、家康から許されて死罪を免れている。
  • 重成(次男)
    関ヶ原合戦後は難を逃れて杉山源吾と名乗り、津軽氏の保護のもとで静かに暮らした。
  • 女子(長女)
    三成の家臣・山田隼人正に嫁いだとされる。
  • 女子(次女)
    蒲生家臣の岡重政に嫁いだとされる。
  • 辰姫(三女)
    豊臣秀吉の死後に秀吉正室・おね(高台院)の養女となる。その後、関ヶ原合戦の後は難を逃れ、弘前藩第2代藩主・津軽信枚の正室となった。


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