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福島正則

福島正則(ふくしま まさのり、1561-1624年)は秀吉の家臣。賤ヶ岳の七本槍、七将の一人に数えられる。


経歴

母方が秀吉の正室・ねね(大政所)の姉妹だった縁から幼年期から秀吉に小姓として仕え、秀吉の中国攻め(1577-82年)の際に初陣を飾る。

信長死後に明智光秀を討伐した山崎の戦い(1582年)で功をあげ、柴田勝家を倒した賤ヶ岳の戦い(1583年)では大功を立て、賤ヶ岳の七本槍の中で筆頭として1番の恩賞を得た。
以後、小牧・長久手の戦い(1584年)、紀州征伐(1585年)、四国征伐(1585年)、九州平定(1586-87年)、小田原征伐(1590年)など秀吉の主要な軍役をこなして功を重ねた。

文禄の役(1592-93年)では五番隊の主将として渡海、慶長の役(1597-98年)には参戦しなかったものの、その後の大規模な朝鮮出兵計画には石田三成や増田長盛らとともに軍勢の大将に抜擢されていた。しかし、秀吉死後、朝鮮出兵計画は中止。石田三成と険悪な関係となって、前田利家の死後には三成襲撃事件を起こしている。

関ヶ原合戦(1600年)では徳川軍の先鋒を担い、戦後は功をあげた恩賞として安芸と備後の49万8,000石の大封を与えられ、広島藩を確立した。しかし、豊臣恩顧大名であったため、大阪冬の陣(1614年)、夏の陣(1615年)では江戸留守居役を命じられた。
家康死後には広島城の無断修築の一件で武家諸法度違反で咎められ、安芸・備後50万石を没収、信濃国川中島四郡中の高井郡と越後国魚沼郡の4万5,000石に減転封されたのち、隠居して出家した。


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