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北条幻庵

北条幻庵(ほうじょう げんあん、1493?-1589?年)は北条氏の家臣で北条早雲の三男。早雲から氏直までの後北条5代に仕えた。

経歴

幼いころより僧となり、父・早雲に仕え、兄・氏綱の代には箱根権現の別当となったとされ、武田信虎との甲斐山中合戦や上杉朝興との武蔵入間川合戦に参戦。
氏康の代になると、甥の玉縄城主・北条為昌の死後に三浦衆と小机衆を指揮下に置くようになった。『小田原衆所領役帳』(1559年に作成)によると、家中で最大の5457貫86文を領有し、二番目に多い松田憲秀(2798貫110文)の倍近い所領であった。

武田信玄による駿河侵攻(1569年)で蒲原城を落とされた際、次男・綱重、三男・長順を相次いで失ったため、同年に北条氏康七男・北条三郎(のちの上杉景虎)を養子に迎え、家督と小机城を譲って隠居。幻庵宗哲と号した。しかし、翌年には越相同盟の人質として北条三郎が選ばれ、上杉謙信の養子となったため、家督を孫・北条氏隆、小机城を北条氏光に継がせた。

幻庵は政治面・軍事面の両方で活躍、馬術や弓術にも秀でており、文化人としての事跡も数多い人物であった。また、北条一門の長老として当主や家臣団に対しても隠然たる力を保有した。『北条五代記』によると享年97という長寿であったが、生年・没年ともに疑問視されており、諸説ある。

略年表

  • 1493年(明応2年)、誕生。幼名は菊寿丸。
  • 1519年(永正16年)、父から4400貫の所領を与えられる。
  • 1524年(大永4年)、出家。このころ、長綱と称す。
  • 1534年(天文3年)、冷泉為和を招いて歌会を催す(『為和集』)。
  • 1535年(天文4年)、武田信虎との甲斐山中合戦、上杉朝興との武蔵入間川合戦に参戦。
  • 1536年(天文5年)、藤原定家の歌集『藤川百書』の相伝者・高井堯慶の所説に注釈書を著す。このころから宗哲と名乗る。
  • 1542年(天文11年)、甥の北条為昌の死去に伴い、三浦衆と小机衆を指揮下に置く。
  • 1545年(天文14年)、連歌師の宗牧と連歌会を催す。
  • 1560年(永禄3年)、次男の綱重に家督を譲る。
  • 1561年(永禄4年)、戦功のあった大藤秀信を賞するよう、氏康・氏政らに進言する。
  • 1569年(永禄12年)、北条氏康の7男・北条三郎(のちの上杉景虎)を養子に迎え、家督と小机城を譲り、隠居して幻庵宗哲と号す。
  • 1570年(永禄12年)、三郎が謙信の養子となったため、北条氏光に小机城を継がせ、家督を孫・氏隆に継がせる。
  • 1589年(天正17年11月1日)、死去。


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