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「北条綱成」2代氏綱から5代氏直まで仕えた "地黄八幡" の闘将

北条綱成(ほうじょう つなしげ、1515-1587年)は後北条氏の家臣。父は今川氏家臣の福島正成、または、伊勢九郎(別名・櫛間九郎)とされており、定かではない。

経歴

幼少のころ、北条氏綱の元へ落ち延びたといわれており、氏綱の娘を娶って北条一門になったという。その後、氏綱の子・北条為昌の後見役を務め、為昌死後、為昌の養子という形で玉縄城主となった。 北条氏の北条五色備えの「黄備え」を率いて各地を転戦。

北条氏康の代になると、日本三大奇襲(日本三大夜戦)の一つとされる河越夜戦(1546年)では、山内・扇谷の両上杉氏と古河公方の三者連合を相手に、半年余りを籠城戦で耐え抜き、氏康率いる本軍と連携して奇襲作戦を実行して逆転勝利するという大功を立て、戦後には河越城主も兼ねることとなった。

以後、第三次川中島の戦い(1557年)では武田方への援軍として参戦、第二次国府台合戦では奇襲部隊を率いて里見軍を撃砕、三増峠の戦い(1569年)では武田譜代家老の浅利信種などを討ち取るなど、功を重ねていった。

氏康が病死した際、家督を子・氏繁に譲って隠居し、剃髪して出家し、上総入道道感と名乗った。


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