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遠山綱景

遠山綱景(とおやま つなかげ、1513?-1564年)は後北条氏の家臣で江戸衆筆頭に列せられる。


経歴

幼いころより北条氏綱に仕え、氏綱から偏諱を賜って綱景と名乗る。その後、父・遠山直景の死にともない、家督と江戸城代を継いだ。

古河公方・足利義氏が小田原城を訪問した際には、北条氏の五宿老の一人として義氏に拝礼を行い、また、このころに葛西城を与えられた。

同じく江戸城代で娘婿でもあった太田康資が主君への不満から離反し、康資の救援を上杉謙信に依頼された安房国の里見氏が出兵したため、第二次国府台合戦(1564年)が勃発。このとき、北条綱成率いる本隊がただちに出陣するが、離反を察知できなかったことに責任を感じた綱景は本隊よりも先行して攻撃をしかけるも、逆に里見軍の反撃にあい、娘婿の舎人城主・舎人恒忠や子の遠山隼人佐とともに討ち死した。

遠山綱景の略年表

  • 1513年(永正10年)頃、誕生。
  • 1533年(天文2年)、父の死去に伴い、家督を継いで江戸城代となる。
  • 1544年(天文13年)、連歌師の宗牧を呼び、連歌の会を催す。
  • 1558年(永禄元年)、古河公方・足利義氏の小田原城訪問時、北条氏の5宿老として義氏に拝礼を行う。また、この頃に葛西城を与えられる。
  • 1564年(永禄7年)、第二次国府台合戦で討ち死。


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