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大道寺政繁

大道寺政繁(だいどうじ まさしげ、1533-1590年)は後北条氏譜代の重臣で北条氏康・氏政・氏直の3代に仕えた。


経歴

大道寺氏は後北条氏家中で「御由緒家」と呼ばれ、代々北条氏に仕えた家柄で武蔵・河越城代を務めていたとされる。

三増峠の戦い(1569年)に従軍、また、武田旧領をめぐる争いとなった天正壬午の乱(1582年)では、神流川の戦いで西上野へ侵攻したのちに甲斐・信濃への侵攻にも従軍して信濃国・小諸城主となって信濃佐久郡を支配、戦いの終盤には信濃佐久郡の情勢は劣勢となるものの、徳川方と和睦するまで守り抜いた。

その後、秀吉が天下を掌握し、小田原征伐(1590年)が開始されると上野・松井田城を守るも降伏し、その後は豊臣方として道案内を務め、北条氏の拠点攻略に貢献したが、戦後、開戦責任を咎められて切腹を命じられて自害した。

大道寺政繁の略年表

  • 1533年(天文2年)、誕生。
  • 1569年(永禄12年)、三増峠の戦いに参戦。
  • 1582年(天正10年)、神流川の戦いに参戦、その直後の天正壬午の乱にも従軍。
  • 1584年(天正12年)、新たに坂戸宿を開き、現在の坂戸市発展の礎となる。
  • 1590年(天正18年)、小田原征伐では上野・松井田城で降伏。その後、豊臣方の道案内をさせられるも、合戦後に開戦責任を咎められて切腹を命じられ、死去。


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