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北条氏繁

北条氏繁(ほうじょう うじしげ、1536-1578年)は後北条氏当主・北条氏康の家臣。


経歴

北条一門として早くから北条氏康に仕え、氏康から偏諱を賜って康成と名乗る。父・綱成が玉縄城主であったことから、玉縄城主、のちに岩槻城城代、鎌倉代官なども務めた。

武人としての活躍は、加島の戦い(1554年)の際に松田憲秀や笠原康勝とともに先鋒を務め、上杉謙信による関東遠征(1561年)の侵攻の際には玉縄城を籠城戦で守り抜いた。また、第二次国府台合戦(1564年)では父・綱成と共に奇襲をかけて里見軍を打ち破っている。この他、武田信玄による小田原攻め(1569年)でも玉縄城を再び籠城戦で守り抜いた。

外交面でも白河結城氏や蘆名氏との交渉に携わっており、氏康からの信任も厚く、下総国方面の軍権を任された。

父・綱成の隠居にともなって氏繁に改名し、家督を相続するも、父に先立って病死した。

略年表

  • 1536年(天文5年)、誕生。
  • 1554年(天文23年)、加島の戦いで松田憲秀、笠原康勝とともに先鋒を務める。
  • 1561年(永禄4年)、謙信による関東遠征の侵攻の際、玉縄城に籠城して守り抜く。
  • 1564年(永禄7年)、里見氏との第二次国府台合戦では父・綱成と共に奇襲をかけて里見軍を打ち破る。
  • 1569年(永禄12年)、信玄による北条領への侵攻の際、玉縄城に籠城して守り抜く。
  • 1571年(元亀2年)、父・綱成の隠居を受け、氏繁に改名して家督を相続。
  • 1578年(天正6年)、対佐竹氏の最前線、下総・飯沼城にて病死。


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