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北条氏照

北条氏照(ほうじょう うじてる、1540-1590年)は北条氏の家臣で北条氏康の三男。


経歴

信濃木曾氏一門で武蔵国の滝山城主・大石定久の娘を娶り、定久の養子として家督を継承し、大石源三氏照と名乗った。のちに北条姓に復してからは第二次国府台合戦(1564年)、三船山合戦(1567年)、第三次関宿合戦(1574年)など、主に東方を担当し、北関東への後北条氏の勢力拡大の先頭に立った。

また、下野国の佐野氏との外交、越相同盟(1569年)の実現、伊達政宗や蘆名氏との外交など、外交相手は主に下野国の国人・古河公方の勢力圏・奥州の大名らであったといい、北条氏の家中において「取次」の役割の多くを担当して諸勢力との外交・折衝に尽力した。

御館の乱(1578-79年)の際には実弟・上杉景虎の援軍要請に応じ、兄・北条氏政の名代として氏邦と共に出陣。また、本能寺の変後の武田旧領を巡る混乱では神流川の戦い(1582年)に出陣、直後には甲斐や信濃に侵攻した。

豊臣政権期では秀吉の侵略に備えて八王子城を築城し、秀吉による小田原征伐(1590年)では主戦論を主張し、居城・八王子城には重臣を置き、自らは小田原城に籠城。
八王子城は前田利家・上杉景勝ら北陸勢に攻略され、のちに降伏して小田原城も開城された際には主戦派と見なされ、兄・氏政とともに切腹を命じられた。

略年表

  • 1540年(天文9年)、誕生。幼名は藤菊丸。
  • 1559年(永禄2年)、信濃木曾氏一門の大石定久の娘・比佐を娶り、養子縁組をして大石源三氏照と名乗り、家督を譲られる。
  • 1561年(永禄4年)、辛垣城の三田綱秀と戦う。
  • 1564年(永禄7年)、第二次国府台合戦で里見氏と戦う。
  • 1568年(永禄11年)、武田家臣・小山田信茂軍と交戦、滝山城を死守。
  • 1569年(永禄12年)、氏邦と共に越相同盟の実現などを画策。同年、三増峠の戦いで迎え撃つも敗北を喫す。
  • 1574年(天正2年)、関宿城の簗田氏を攻略し、これ以降古河公方足利義氏の後見を務め、利根川水域を支配。
  • 1575-76年(天正3-4年)頃、「陸奥守」を称す。
  • 1578年(天正6年)、上杉家の家督争い・御館の乱では北条氏政の名代として氏邦と共に越後に出陣。
  • 1582年(天正10年)、神流川の戦いに従軍し、その後、甲斐や信濃に侵攻(天正壬午の乱)。
  • 1590年(天正18年)、小田原征伐後に切腹を命じられ、死去。享年51。


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