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北条氏邦

北条氏邦(ほうじょう うじくに、1541?-1597年)北条氏の家臣で北条氏康の四男。


経歴

兄の氏照同様に武勇・統治に優れ、北関東の最前線である上野方面の軍事を任された。武田信玄との三増峠の戦い(1569年)をはじめ、各地を転戦。

上杉氏の家督争いである御館の乱(1578-79年)の際には長兄・氏政の名代として、次兄・氏照と共に景虎支援のために越後に出陣。信長死後の天正壬午の乱(1582年)では当主・北条氏直に従軍し、滝川一益を敗走させるなど活躍し、領土拡大に大きく貢献した。

しかし、北条氏滅亡のきっかけとなった名胡桃城奪取事件(1589年)の当事者との説もあり、家臣の猪俣邦憲に指示したともいわれている。

秀吉の小田原征伐の際には小田原城での籠城戦ではなく、野戦を主張したが受け入れられなかった。結局、居城・鉢形城で籠城するも、前田利家らの大軍を相手に降伏。
戦後、利家の助命嘆願によって許され、能登津向に1000石を拝領した。

略年表

  • 1541年(天文10年)、誕生。幼名は千代丸。
  • 1569年(永禄12年)、氏照と共に越相同盟の実現などを画策。同年、三増峠の戦いで迎え撃つも敗北を喫す。
  • 1578年(天正6年)、上杉家の家督争い・御館の乱では北条氏政の名代として氏照と共に越後に出陣。
  • 1582年(天正10年)、神流川の戦いに従軍し、その後、甲斐や信濃に侵攻(天正壬午の乱)。
  • 1589年(天正17年)、猪俣邦憲の名胡桃城侵攻と同時期に豊臣方の宇都宮に侵攻、数ヶ月後に和睦。
  • 1590年(天正18年)、秀吉の小田原征伐では居城・鉢形城で籠城するも前田利家軍の前に降伏。利家の助命嘆願により一命を許される。
  • 1597年(慶長2年)、加賀金沢にて57歳で病没。


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