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【名場面】長篠合戦での家康の洞察力(1575年)

天正3年(1575年)、武田勝頼は長篠の戦いで徳川・織田連合の援軍が長篠城に到着する前、長篠城主・奥平貞昌の家臣・鳥居強右衛門を磔にして処刑した。
そして、徳川・織田の援軍が到着すると、鉄砲隊を前に大敗。勝頼は馬場信春や山県正景など、多くの重臣を失った。

これは家康がこれらの出来事に対して述べた言葉が、のちに的中したという話である。

▼主な登場人物

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    徳川家康


長篠の戦いの中で鳥居強右衛門は武田軍に包囲されている中で長篠城を抜け出て、信長や家康のいる岡崎城へ赴き、長篠城の窮状を伝え、まもなく援軍が出陣することを知った。

しかし、これを味方に知らせるために長篠城へ引き返した際に武田軍に捕えられ、磔にされて処刑されてしまった。

これに対して家康は周りの者に言った。

徳川家康アイコン

家康

勝頼は大将の器ではない。なぜなら勇士の使い方をわかっておらぬ!

鳥居のような剛の者はたとえ敵であっても助命して、その志を褒め称えてやるべきじゃ。
これは味方に忠義というものを教える一助になるのだ。自分の主君に対して忠義を尽くす将を憎いといって磔にすることなどがあるか?

周囲の者たち

周囲の者A:勝頼はひどいやつじゃ!

周囲の者B:殿の言うことはもっともじゃ!

その他大勢:そうじゃそうじゃ~~

家来アイコン
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家康

そう思うじゃろ?今にみていよ。勝頼が武運尽きて滅亡するときは譜代恩顧の将たちも背くであろうから、浅ましいことじゃ!

と・・・。

実際、勝頼の末路は家康のこの言葉通りとなったのである。


また、家康は合戦を前に武田の陣をみて言った。

徳川家康アイコン

家康

敵が一手になって無理に押し切りかかってくれば、わが勢は弱気だから一気に崩れるであろうし、そうなると大軍の騒動は敗北のもととなり、立ち直ることはできぬ。

周囲の者たち

・・・・

家来アイコン
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家康

しかし、武田の陣をみるとまともな陣立てじゃから1、2というように手を分けてわずかな軍勢を多勢にみせようとしておる。

武田は入れ替わりで攻めてくるはず・・・。そうすると、こちらは柵で支えて鉄砲を浴びせればわが軍勢の勝利に疑いないじゃろう・・。

と・・・。

実際、設楽原での両軍本隊による決戦は家康のこの言葉通りとなったのである。


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