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【名場面】家康、秀吉と戦う大義名分を掲げる(1584年)

※『名将言行録』より

信長死後、柴田勝家を倒して織田家の覇権を握ったのは羽柴秀吉であったが、一方でないがしろにされた信長の二男・織田信雄は秀吉と不和になっていった。
やがて秀吉は信雄家臣の津川義冬、岡田重孝、浅井長時の三家老を懐柔しようとするが、信雄が三家老を裏切り者として処刑してしまった。

こうして秀吉と信雄との戦いは決定づけられ、信雄は旧恩のある者たちを味方につけようとするが、誰も同意する者はいなかった。

-- 天正12年(1584年) --

織田信雄

くっ!もはや家康以外に頼れる者はおらぬ。

織田信雄アイコン

こうして信雄は家康に使者をだして、支援を求めた。

信雄の使者

織田信雄よりの使者として参上いたしました。

家来アイコン
徳川家康アイコン

家康

どのような用件でしょうか?

信雄の使者

はっ!かくかくしかじか・・・・
そして、もしできたなら父・信長との旧交を思われ、見捨てずにこのたびの危急を救っていただきたく、進退まさに極まれりといった有様でございます。

家来アイコン

これを聞いて家康は、あわれに思い、次のように言った。

徳川家康アイコン

家康

うむ。秀吉はいまやその権といい、名声といい、真に盛んではあるが、もともと今川の松下之綱の奴隷であったところを信長公の抜擢があって今があるのだ。それなのに旧恩を忘れ、正しい旧主の子孫を倒そうと謀るのは恩に背くことであり、義理に欠くことであろう。

徳川家康アイコン

家康

信長公の恩顧の者らも、秀吉に加担するのは、時の流れにしたがう習わしとはいえ、信義のない輩だ。
わしは信長公の生前に固く約束しあったこともあるから、いま、その子が困っているのをみても救わないというのでは武士たる者の本意ではない。

そして、使者に向かって言った。

徳川家康アイコン

家康

信雄殿の趣は承りました。秀吉が攻め入るならばすぐに手勢を連れてお味方いたします。
それがしが味方につけば、少しも恐れることはございません。一切ご心配は無用です。

信雄の使者

ははーっ!ありがたきお言葉にございます。

家来アイコン

使者が戻り、この旨を聞いた信雄はたのもしく思ったという。


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