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徳川家康の略年表

略年表

天文11年(1542年)
三河国の土豪・松平広忠の嫡男として誕生。

織田・今川の人質時代

天文16年(1547年)
今川氏の人質として駿府へ行く予定であったが、護送途中で織田氏へ引き渡されてしまう。このとき織田信長と出会い、ともに過ごす。
天文18年(1549年)
  • 織田と今川の人質交換により、当初予定の今川領の駿府へ移される。
  • 同年、父・広忠が家臣の謀反により死去。
天文24年(1555年)
元服して今川義元から偏諱を賜り、"次郎三郎元信" と称して関口親永の娘・瀬名(築山殿)を娶る。のちに蔵人佐元康と改名。
永禄元年(1558年)
今川家臣として初陣を飾る。

戦国大名として独立へ

永禄3年(1560年)
桶狭間の戦いで今川軍の先鋒を担う。戦後、今川軍が放棄した岡崎城へ入城する。
永禄4年(1561年)
今川方の拠点・牛久保城を攻撃し、今川氏からの自立を明確にする。
永禄5年(1562年)
信長と同盟を結ぶ(清洲同盟)。
永禄6年(1563年)
"家康" に改名する。
永禄7年(1564年)
三河一向一揆が勃発。
永禄9年(1566年)
  • 三河国を統一する。
  • 同年、朝廷から従五位下・三河守の叙任を受け、"徳川" に改姓する。
永禄11年(1568年)
  • 信長と足利義昭の上洛作戦の際に援軍を派遣する。
  • 同年、武田信玄の駿河侵攻に呼応して遠江国の今川領へ侵攻する。

織田政権下

永禄12年(1569年)
今川氏真を降し、遠江国を支配下に置く。
元亀元年(1570年)
  • 浜松城を築城して居城とする。
  • 同年、信長による越前侵攻に従軍(金ヶ崎の戦い)
  • 信長による浅井長政への報復戦に従軍(姉川の戦い)
  • 比叡山延暦寺に篭った浅井・朝倉軍と志賀の陣で対陣。
元亀3年(1572年)
武田信玄による侵攻(西上作戦)により、たて続けに敗戦して多くの所領を奪われる。
元亀4年(1573年)
武田信玄の死をきっかけに反撃を開始、所領の奪還を開始する。
天正3年(1575年)
長篠の戦いで織田軍の援軍を得て、武田軍に大勝する。
天正7年(1579年)
北条氏と同盟を締結。
天正9年(1581年)
武田勝頼から高天神城を奪回する(高天神城の戦い)。
天正10年(1582年)
  • 信長の武田征伐(甲州征伐)に従軍し、戦功によって信長から駿河国を与えられる。
  • 本能寺の変による信長横死の際は、京から自国の三河国までかろうじて戻った(神君伊賀越え)。
  • 武田旧領を巡る天正壬午の乱では甲斐・信濃国の領有化に成功した。
天正12年(1584年)
小牧・長久手の戦いで秀吉と対立。

豊臣政権下

天正14年(1586年)
秀吉の懐柔策に屈して、豊臣に従属する。
天正15年(1587年)
関東・奥羽の惣無事令での監視を任される。左近衛大将、および左馬寮御監に叙任される。
天正17年(1589年)
「五ヶ国総検地」と称した大規模な検地を断行。
天正18年(1590年)
秀吉による小田原征伐に従軍。戦後、徳川領は関八州に移封される。
天正19年(1591年)
豊臣秀次を総大将とした奥州再仕置軍に加わる。
文禄元-2年(1592-93年)
文禄の役の際には渡海せず、名護屋城に在陣。
慶長元年(1596年)
秀吉の推挙により内大臣に叙される。
慶長3年(1598年)
五大老の一人に任命される。
慶長5年(1600年)
関ヶ原合戦の東軍総大将として勝利。

江戸幕府下

慶長8年(1603年)
征夷大将軍、淳和奨学両院別当、右大臣に任命。
慶長10年(1605年)
将軍職を秀忠に譲る。
慶長12年(1607年)
駿府城に移る。
慶長14年(1609年)
オランダ使節と会見。朱印状による交易と平戸にオランダ東インド会社の商館の開設を許可。
慶長18年(1613年)
イギリス東インド会社のジョン・セーリスと会見。朱印状による交易と平戸にイギリス商館の開設を許可。
慶長19-20年(1614-15年)
大坂の陣で豊臣家を滅ぼす。一国一城令を制定。
元和2年(1616年)
駿府城において死去。享年75。


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