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【名場面】家康、ついに秀吉へ降る(1586年)

※『名将言行録』より

天正14年(1586年)、家康と和睦した秀吉は、家康を上洛させて支配下に置こうと企み、まずは妹の旭姫を家康の正室にさせたときのことである。

-- 家康居城・岡崎城にて --

徳川家康アイコン

家康

こうなってはもはや上洛しないわけにもいかぬ。

酒井忠次

殿!上洛する必要はございませぬ。どうか思い留まって下され。
そのために秀吉と敵対したとしても仕方ありませぬ。

酒井忠次アイコン

重臣たち

重臣A:酒井殿の言うとおりですぞ!
重臣B:秀吉ごときに降る必要などございませぬ!
他の重臣ら:そうじゃそうじゃ~

家来アイコン
徳川家康アイコン

家康

汝らはなぜそのように言うのじゃ?わし一人が腹を切って多くの者を助けようと考えておるのじゃ。

徳川家康アイコン

家康

わしが上洛せねば、かならずや秀吉とは敵対するであろう。さすれば100万騎で秀吉が攻め込んできても、討ち果たすこともできるが、合戦の習いとしてはそうばかりではない。

徳川家康アイコン

家康

わし一人が腹を切れば、みなの命を助けることができるのじゃ!

重臣たち

重臣A:うっ・
重臣B:ううっ・・・
他の重臣ら:・・・・。

家来アイコン

酒井忠次

殿!そこまでの御決意でしたら、それはもっともな事。上洛なさってくだされ。

酒井忠次アイコン

忠次の言葉には、他の家臣らも "老臣にふさわしい返事" だと感じ入り、こうして家康は上洛を決意したのである。

--- 数カ月後 ---

一方、秀吉が再び家康の上洛を促すため、母・大政所を人質として岡崎城に下向させると伝えてきた。

いよいよ上洛せざるを得なくなった家康は、井伊直政と大久保忠世に大政所を預かることを厳命して言った。

徳川家康アイコン

家康

万が一、上洛してわしが腹を切るようなことになったなら、政所を殺せ!
ただし、その侍女どもは助けて帰すのじゃ。家康は女どもをみな殺して腹を切ったとなれば、そのうわさは他国や末代まで伝わるであろうからのう。

井伊直政

はっ!承知いたしました。

井伊直政アイコン

こうして家康は上洛して秀吉に臣下の礼をとったのである。

そして何事もなく無事に帰国したため、徳川家中では「めでたいこと」と喜び、大政所も井伊直政を警護につけて大阪へ帰したのであった。


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