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本多正信

本多正信(ほんだ まさのぶ、1538-1616年)は徳川家康の重臣で江戸幕府の老中。相模国玉縄藩主。

経歴

はじめ、鷹匠として徳川家康に仕え、桶狭間の戦い(1560年)に参戦した際、膝を負傷して片足が不自由になったという。三河一向一揆(1563-64年)では家康と敵対し、一揆衆が鎮圧された後に出奔してしまう。

その後、大和国の松永久秀に仕えた後、しばらくして諸国を流浪。時期は定かではないが、大久保忠世を通じて後に再び家康のもとへ帰参を果たす。

本能寺の変(1582年)の際には、家康の伊賀越えに付き従ったとされている。旧武田領の争奪戦(天正壬午の乱)の後、奉行に任じられて甲斐・信濃の統治を担当。

豊臣政権下では小田原征伐(1590年)後の家康の関東移封時、相模国玉縄1万石を与えられた。

秀吉死後、家康の天下の覇権争いにおいて、謀略の大半を家康に献策するなど参謀として台頭。
関ヶ原の戦い(1600年)では徳川秀忠隊に従軍。江戸幕府成立後は、家康の側近として幕政を主導するほどの権威をもつようになり、本多忠勝や大久保忠隣ら武功派との権力抗争も発生するが、家康からの信頼が変わることはなく、絶大な権力を振るった。

略年表

  • 1538年(天文7年)、誕生。
  • 1560年(永禄3年)、桶狭間の戦いに参戦、膝を負傷。
  • 1563年(永禄6年)、三河一向一揆では弟と共に家康と敵対。 徳川氏を出奔し、松永久秀に仕える。その後、諸国を流浪。
  • 1582年(天正10年)、本能寺の変後の家康の伊賀越えに同行。
  • 1586年(天正14年)、従五位下、佐渡守に叙位・任官
  • 1598年(慶長3年)、秀吉死後、家康のブレーンとなる。
  • 1600年(慶長5年)、関ヶ原合戦では徳川秀忠隊に従う。
  • 1603年(慶長8年)、江戸幕府開設後、家康側近として幕政を主導。
  • 1605年(慶長10年)、2代将軍秀忠の顧問的立場として幕政を主導。
  • 1607年(慶長12年)、秀忠付の年寄(老中)となる。
  • 1614-15年(慶長19-20年)、大阪の陣で家康に多くの献策を与える。
  • 1616年(元和2年)、嫡男・正純に家督を譲って隠居。同年、死去。享年79。


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