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鳥居元忠

鳥居元忠(とりい もとただ、1539-1600年)は徳川氏の家臣。下総香取郡矢作藩(千葉県香取市矢作)の藩祖。

経歴

幼少のころに家康に近侍し、家康が三河国の統一を果たした後は、旗本先手役となる。その後、姉川の戦いで功を挙げるも、三方ヶ原の戦い(1572年)では足を負傷して以後、片足が不自由となった。

武田勝頼との戦いである長篠の戦い(1575年)や高天神城の戦い(1581年)にも参戦、武田滅亡後の武田旧領の争奪戦である天正壬午の乱(1582年)では、甲府で北条氏忠・氏勝軍を破り、戦後に甲斐都留郡を与えられた。のち真田昌幸討伐のための第一次上田合戦(1585年)にも参加するが、このときは敗退している。

豊臣政権下では小田原征伐(1590年)に従軍し、戦後の家康の関東移封の際には、下総国・矢作城4万石を与えられた。

秀吉死後、家康による会津討伐の際には従軍せず、伏見城を任されるが、石田三成の挙兵後の関ヶ原合戦の前哨戦である伏見城の戦い(1600年)で討死した。

略年表

  • 1539年(天文8年)、誕生。
  • 1551年(天文20年)、家康の近侍となる。
  • 1558年(永禄元年)、寺部城攻めに参戦。
  • 1566年(永禄9年)、家康の三河統一以後、旗本先手役となる。
  • 1570年(元亀元年)、姉川の戦いに参戦。
  • 1572年(元亀3年)、三方ヶ原の戦いに参加。諏訪原城合戦で足に傷を負い、以後は歩行障害が残る。同年、父・忠吉が死去し、家督を相続。
  • 1575年(天正3年)、長篠の戦いに参戦、馬防柵の設置を担当。
  • 1581年(天正9年)、高天神城の戦いに参戦。
  • 1582年(天正10年)、天正壬午の乱での功により、戦後、甲斐都留郡(山梨県都留市)を与えられ、初め岩殿城に入り、やがて谷村城主となる。
  • 1583年(天正11年)、上田城を築城。
  • 1585年(天正13年)、第一次上田合戦で真田昌幸らに撃退される。
  • 1590年(天正18年)、小田原征伐では岩槻城攻めに参加。戦後、下総国・矢作城4万石を与えられる。
  • 1599年(慶長4年)、領内において総検地を実施。
  • 1600年(慶長5年)、関ヶ原合戦の前哨戦・伏見城の戦いで討死。享年62。


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