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今川義元の名言・逸話まとめ

逸話・人物像

愚将に仕立て上げられた?

  • 義元は足が短く、胴は長く、片輪(=不完全、未熟、欠点などの意)だったことから、臨済寺の喝食(=食事の際の世話係)に入れられたという(『武功雑記』)。
  • 『集覧桶廻間記』によれば、公家のように口にお歯黒をつけ、置眉や薄化粧をしていたといい、桶狭間の戦いに向かって沓掛城を出馬した際の道中で落馬したという。
    しかし、このことは後世の創作であるという説もある。
  • 武術に関しては幼少期に出家してその習得に恵まれなかったこともあって優れなかったという。ただ、桶狭間の戦いでは襲撃してきた服部一忠を斬りつけて撃退しており、さらに毛利良勝が襲撃してきた時も幾度かやり合った末、討ち取られる直前には良勝の指を食いちぎったという。
  • 桶狭間の戦いの緒戦で勝利した義元は大いに喜び、油断して酒宴乱舞したという(『集覧桶廻間記』『尾州桶狭合戦略記』など)。

一流の教養・文化人

  • 義元の文化人としての資質は天性のものであり、幼少のころから学問を学んで中央の知識人と多く交流し、若くして相当の教養を身に付けていたといい、今川氏歴代有数の文化人となった。
  • 和歌を非常に好んで毎年のように和歌の会に参加しており、その上、今川氏の歌会始(=うたかいはじめ。年の始めに行う歌会)は今川一族、今川重臣、そして今川領に駐在していた中央の文化人らによって構成され、華やかな会が行なわれていたという。
  • 茶の湯も嗜んでいたようであり、桶狭間の戦いで信長に強襲されたとき、義元陣営は茶会を催していたという(『老人雑話』)。

兄の亡霊、あらわる!

桶狭間の戦いに出陣する前夜、夢の中で義元の異母兄・玄広恵探があらわれ、「今回の出陣はやめたほうがいい」と告げたという。また、義元が出陣して藤枝を通過するときに、恵探の亡霊が現れて行く手を遮ったため、義元が刀に手をかけたという(『当代記』)

義元の首塚とたたり

  • 義元の首塚は明治時代に入って今川の菩提寺・臨済寺に移されたが、それ以前は静岡市の天澤寺跡にあったといい、この天澤寺跡では未だに "義元の首塚のたたり" があるという。
    天澤寺跡地を購入した人をはじめ、その家を買い求めた人々が次々と不幸にみまわれたといい、一例に昭和49年の豪雨のときには裏山が崩れてその家は土砂に埋もれてしまったという。
  • 義元の首は鳴海城から今川家臣の岡部元信が持ち帰って、臨済寺の前の「首洗い池」で洗い清めたという。また、この池の水が近くの水田に流れ込むと、その田んぼの稲に必ず赤米が混ざって実ったという。
  • 義元の命日の5月19日には「首洗い池」から流れる水路に羽根の黒いトンボが舞ったといい、近隣の子供らも捕るのを嫌がったという。これは「今川トンボ」と呼ばれている。

※NHK大河「おんな城主 直虎」にあわせた連載記事はこちら ⇒ 「井伊直虎」特集


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