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【人物相関】今川と織田氏

織田氏は織田信秀の代に今川氏と三河国を巡り、たびたび交戦している。信長の代に入り、桶狭間の戦いで義元を倒したのを最期に織田氏と今川氏の戦いはなくなる。

尾張に隣接する三河国では三河国衆らが今川氏から相次いで離反していくこととなるからだ。松平元康(=のちの徳川家康)もその一人であり、今川から独立を果たして信長と同盟を締結するのである。


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織田信秀(おだ のぶひで)

"尾張の虎" の異名を持つ信長の父

今川義元が北条氏との戦い・河東一乱を終結させた後、今度は三河に目を向け、 1546年(天文15年)から三河国への侵攻を開始した。

一方で信秀は1547年(天文16年)に西三河の松平氏を攻めて安祥城を攻略した。
これに対して松平当主・松平広忠は今川義元を頼り、子の竹千代(=のちの家康)を人質に出すことで援助を求めたが、家臣の裏切りにあって竹千代は織田方に渡った。

1548年(天文17年)には岡崎城の手前の小豆坂で今川義元と交戦したが、大敗して安祥城まで退いている(小豆坂の戦い )。
その後、安祥城も今川軍に攻略され、信秀の三河国の所領化は失敗に終わった。


織田信長アイコン

織田信長(おだ のぶなが)

群雄割拠で天下を掲げ、最大勢力を築き上げた戦国の革命児

父・信秀の後を継いで、織田家中と尾張国の統一を果たすと、桶狭間の戦い(1560年)では今川義元を倒して、全国にその名を轟かせた。

東海の支配者・今川氏はこの桶狭間の戦いがきっかけとなり、三河国の松平元康(=のちの徳川家康)の独立をゆるし、弱体化の一途をたどっていくのであった。


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