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【名場面】直江兼続、秀吉に小田原攻めの意見を聞かれ・・(1590年)

これは豊臣政権による小田原征伐(1590年)が開始されてから数か月経過しても小田原城を陥落できていない状況の中、秀吉が陪臣の直江兼続に対して意見を求めたときの話である。

▼主な登場人物

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    直江兼続

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    豊臣秀吉


-- 天正18年(1590年) --

秀吉

兼続、よう来た。わしがそなたを呼んだのは他でもない。
こたびの戦、北条攻めについてそなたの意見を聞きたいのじゃ。

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兼続

はっ!

兼続は意見を述べる前、”なぜ太閤殿下が自分に意見を求めてきたのか?” をすぐさま察した。

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兼続

(北条を攻めあぐねてはいるが、そうかといってここから帰陣になるとは思えん。 兵糧ほか、長陣の用意は既にある・・・。
殿下がそれがしに意見を求めるということは、おそらく豊臣諸将の士気を高めるようなことを申せということか。。 ならば・・・)

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兼続

では、おそれながら申し上げます。

そして、兼続はかしこまって申し上げた。

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兼続

北条は長年にわたり、いまや関東数カ国を手中に治め、こたびの戦いでは大軍をもって籠城しております。このため、5日や10日攻めたとて、落ちようとは思いませぬ。

父・氏康は東国では名の知れた文武ともに優れた将ですが、氏政は父に遥かおよばず、生まれながらの愚将でございます。

秀吉

ほほう。それは?

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兼続

今こうして殿下に刃向っていることがなによりの証拠・・。氏政は愚かで身の程を知らないのでございます。

また、小田原近隣の城の構えも別段に変わった普請(=工事)を施したものもありませぬ。氏政がこれらを打ち破るのは容易に事が運んだことと思われます。

秀吉

うむ。それで?

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兼続

それゆえ氏政一門はたいした苦戦もしておらず、特に優れた兵もいないように思われます。その上、殿下に臣下をとるべき礼を失い、ないがしろにしたる天罰は断じて逃れられませぬ。

氏政の兵が多いとはいえ、殿下の軍勢に比べますと10分の1にもおよばず、また、氏政ごときと殿下の武略では雲泥の差がございます。

秀吉

ほうほう。

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兼続

かかる次第にてもうしばらく日を重ねて攻め入れば、落城はそんなに遠くないことのように存じます。
「不義にて富むは浮雲のごとし(=不正な手段で得た地位や財産は浮雲のようにはかないという意)」と申します。これは氏政をいったものだとつくづく思いあたりました。

こう述べると、秀吉は非常によろこび、兼続に太刀と時服を与えたという。




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