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【名場面】計略にも優れた謙信の戦法(1563,67年)

堅固の私市城、計略をもって攻略

--『名将言行録』『常山紀談』より--

永禄6年(1563年)2月、謙信が武蔵国における上杉方の拠点・松山城の後援に出ていったときのことである。

とある家臣

御屋形様!すでに松山は落ちた模様でございます。

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謙信

なに!?
おのれ北条め~、このあたりに敵城はないのか?

とある家臣

小田某が私市城に籠城しております。

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謙信

うむ。そこへ討ってでるぞ!

こうして謙信は私市城へ向かった。しかし、私市城は後ろに大きな沼があり、本丸からは外がよく見える構造となっており、攻略が難しい城であった。

謙信はあらかじめ城をみてまわったところ、本丸と二の丸の間はスノコでつくられた橋があった。そして3度にもわたり、池の水面に白地の帷子(かたびら)を着た人の姿を目撃した。

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謙信

むむう・・(女子供が人質にとられておるのだな。)

女子供が人質にとられていると察知した謙信は、家臣の柿崎景家に大手から攻めるよう命じた。そして敵方が大手に兵を集中する隙をみて、謙信は城近くの民家を壊して筏を作り、城の背後にある大きな沼から侵入して大きな鬨の声をあげた。

城内の者たち

敵兵A:内通するものがいたのか!!
敵兵B:もしや本丸がやられたのか!!!
人質C:きゃーーーーー
人質D:に、にげろーーーーー

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城内は混乱に陥り、敵兵は早合点して自害する者や投降する者も続出。謙信は難なく敵城を落としたのであった。


武田・北条の大軍を退ける

--『名将言行録』より--

永禄10年(1567年)10月、上野国における上杉氏の拠点・厩橋城(前橋城)が北条・武田兵5万6千もの大軍に包囲されたときのことである。

上杉家臣ら

家臣A:御屋形様!いまこそ上杉の力をみせてくれましょうぞ!
家臣B:そうじゃそうじゃ!武田・北条ごときに負けてなるものか!

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上杉兵たちは城外へ討って出ようと勇んだが、謙信はこれを制止して言った。

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謙信

・・・まあ待つのだ。今は敵方の様子を探ることができぬ。もし伏兵などを置けば、かえって戦いの利を失ってしまう。

上杉家臣ら

家臣A:し、しかしこのままでは・・
家臣B:・・・(そうじゃそうじゃ。どうするのじゃ~)

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謙信

わかっておる。
みなで鬨の声をあげ、貝を吹き、鐘をならし、進軍の太鼓を打ち、敵の後を追って出ていくフリをするのだ。さすれば敵の大軍は驚き騒ぐはず・・。

そこで利根川の渡しまで追いつめれば、川でおぼれる者がでるだろう。これこそが戦わずして勝つ手立てだ。

そして、この作戦に狼狽した北条と武田の兵らは、てっきり上杉が追ってくるものと思っていた。さらに強風で塵土が舞いあがり、目も口も開けられず、後ろを振り向くこともできず、謙信の思惑どおりに川で溺死する者が多かったのである。


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