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【名場面】謙信、信玄について語る

信玄の神社焼き討ちの真意を読む

--『春日山日記』より--

ある日、謙信は武田信玄が村上義清の旧領の神社を焼き討ちしたことについて、近臣たちに語った。

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謙信

信玄は村上義清を攻め倒し、信濃佐久郡・小県郡を手に入れたが、その後に義清の居城の葛尾(埴科郡(はにしな))にも進出して義清の旧領地を視察しておる・・。

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謙信

この旧領地には村上氏が先祖代々氏神として深く信仰する神社があったのだが、信玄は若い手勢を引き連れてこの神社へ赴き、社殿を残らず焼き払い、神木までも切り倒しておる。
全くもってとんでもないことだ。

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謙信

信玄はなぜこんな悪事をはたらいたのか・・。神社・仏閣を焼き尽くすような真似は良将のすべきことではないだろう。神や仏になんの恨みがあるというのか・・。

近臣たち

家臣A:・・・(信玄が非道ということか?)
家臣B:・・・(なにがいいたいのだろう・・)

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謙信

わしが信玄の心をはかるに、村上氏代々の氏神や廟所をそのままにしておけば、村上旧家臣らが今は信玄に屈して配下に属しているが、ときには、この氏神へ参拝することなどあれば、昔のことを思い出して涙し、それが武田家への叛意につながるともかぎらぬ。
その上、村上代々の土民までたびたび氏神へ足を運べば、田舎の百姓といえども、昔を思う心が生じることになるだろう。おそらく信玄は後腐れのないように焼き払ったのであろう。

謙信は信玄の振る舞いについて、このように推察したのであった。


信玄よりも劣る部分を語る

--『名将言行録』より--

天正5年(1577年)、謙信が加賀の松任城を落とした。このとき信長の軍勢が七尾城救援に向けて松任城近くにまで進軍していたが、七尾城・松任城が上杉軍の攻撃で陥落したことを知り、不利を悟って撤退していった時のことである。

この機に乗じて越中国の神保を討つよう、家臣たちは謙信に進言した。しかし、これに対して謙信は言った。

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謙信

それは浅はかな考えだ。あの信玄は6分の勝利を完全なものとし、7、8分までモノにしようとはしなかったと聞いておる。
こたびは信長の5万余の大軍を前にして松任の要害を落とし、特に城主は強敵であった長兄弟を討ち取って、さらに信長方の軍勢をこちらより仕掛けて追い崩しておる。これは11分以上の大勝だ。

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謙信

そのうえ、神保を攻めて越中まで得るとなると、18分の勝ちといっても過言ではない。「天道は満ちるを欠く」ということがある。まずまず今回は帰陣するのがよいであろう。
信玄ならば決して松任城を攻め落として大聖寺の陣に仕掛けるというようなことはしなかっただろう。こういう点がわしが信玄に及ばないところのひとつなのだ。

家臣たち

家臣A:なるほど・・さすがは御屋形さまじゃ!
家臣B:・・なんとも思慮深く、的を得ておる!
家臣C:うんうん・・。

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こうして皆感服したのであった。


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