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【名場面】謙信と川中島合戦にまつわる話(1553-64年)

信玄の用兵について尋ねる

※『名将言行録』より

天文22年(1553年)8月、信濃の国人・村上義清が信玄に敗れ、越後へ逃れてきて、謙信に助力を願い出てきた。これは謙信が武田信玄と川中島で初対決をする直前の話である。

--越後国・謙信の居城--

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謙信

さて、信玄の兵の扱いはどのようなものか?

村上義清

ここ10年間、信玄が勝利を取っているが、今は後のことを考えて大事に弓矢を締め取り、軽率なことは一切しない。戦に勝利した後はさらに用心深くなり、十里働くところを三里とか五里までにとどめておいている。

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謙信

・・・・・。
のちの勝利を大切にするということは、国を多く奪おうとする心があるからであろう。わしは国盗りも後の勝利も考えず、目の前の一戦を大切にするのだ。

謙信はそう言い、自ら兵を率いて川中島方面へ出陣した。

信玄の計略を見抜く

※『名将言行録』より

弘治2年(1556年)8月、謙信が信玄と対陣したときの話である。

信玄は馬3頭を放し、その馬たちが謙信の陣所のほうに迫ってきた。

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上杉兵たち

兵士A:む、武田方の陣営から馬が放たれておるぞ!!
兵士B:なら捕えて我が軍の馬としよう!

謙信はこのとき櫓の上で敵陣を監視していたが、馬が放たれたのを見て、家臣の本荘平七を呼んで大声で叫んだ。

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謙信

おい!武田方から馬が放たれてこちらに来るが、かまわずそのままにするように触れを出せ!もしこちらから一人でも出ればその者を処罰すると伝えよ!!

そして、武田の馬が野山を走り回るのが目に入るが、謙信の指示どおり、上杉方の兵は誰も陣から出なかった。

実はこれは信玄の計略であった。信玄は夜のうちに騎馬50騎・足軽300人ほどを草に伏せさせておいて、上杉兵が馬の捕獲にでてきたところを襲いかかって討ち取る手筈であったのである。

武田の伏兵たち

兵士A:・・・(敵方は誰もでてこんのう。)
兵士B:・・・(いつまで隠れておればよいのじゃ。)

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一向にでてこない上杉兵をみて、やがて武田の伏兵たちはむなしく引き上げていった。これに信玄は・・

武田信玄

謙信は実に達者な将じゃ。はかりごとなどでは太刀打ちできぬわ。

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信玄はこのように感服し、陣払いして引き上げたのであった。

大激闘となった第四次合戦で謙信が用いた下策

※『常山紀談』より

永禄4年(1561年)、武田信玄との最大の激闘となった川中島合戦でのこと。

--同年7月ーー

上杉の間者

申し上げます!5月上旬に信玄が家中で二心を抱く者の多くを川中島で処刑したようです。このため、疑心をいだく者も多く出ております。
また、わが兵の多くが割ヶ岳で討死しました。

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謙信

1つは三軍のわざわいは狐疑から生ず・・・、と言う。2つに疲れたところに乗じて攻め込む・・・。
8月には川中島に出陣しようぞ!

三軍というのは左翼、中軍、右翼の3つの態勢であり、これが動揺するのは狐のように疑い深く、ためらうことから生じるということである。

そして謙信は侍大将全員を呼び寄せ、おのおのが思う計略を聞いて書面で提出させ、それを上策・中策・下策の3つに分けた。

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謙信

よし、こたびの戦は下策で行くぞ!

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謙信

上策はすでに武田の察するところ・・。われらを待つのに敵もはかりごとを怠らぬであろう。待ちかまえている相手に攻め入って勝てるものではない。

中策はこれまで何度も協議したものだ。こたびは下策で川中島城(=海津城のこと)を踏み越え、妻女山に陣取り、しばらく武田の後ろ巻きを待つこととする。信玄が来たときには雌雄を決しようとおもう。
もし信玄が川中島城に入ったならば、それを包囲して攻める。また、川中島を陣取って我らの帰路をふさぐなら、すぐに川中島城に向かい攻めようぞ。
さすれば、信玄はかならずや救援に向かうであろうから、そのときにまた一戦して、勝てねば討死もやむを得ん。これが下策を用いる理由だ。

--8月24日ーー

時は過ぎて8月に入り、やがて謙信は妻女山へ入って陣を敷いた。一方の信玄は謙信の思うとおり、後ろ巻きにしてしばらく対陣したあと、川中島城に入った。

--9月9日ーー

この日の夜、謙信は侍大将を集めて軍議を開いた。

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謙信

明日、信玄は必ずや討って出てくるであろう。不意を突き、今夜にも雨の宮の渡りを逆に討って出ることにする。用意せよ!

侍大将ら

侍大将ら:ははあっ!!

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--9月10日ーー

日が変わって寅の刻(=朝4時ころ)、謙信は川中島に兵を出した。先陣は柿崎景家、後ろは甘粕景持が務めた。

信玄率いる1万余の兵が千曲川にすすんで善光寺の要所となる道で待ちかまえていた。謙信は軍を進めて一斉に突撃を開始し、信玄本陣を押し崩した。裏をかかれた武田軍は信玄の弟である武田信繁や山本勘助らを含む多くの武田兵を討ち取ったのである。

しかし、まもなくして妻女山の武田の別働隊が押し寄せてきて、挟撃の危機にさらされた謙信は軍勢を引き上げた。なお、甘粕景持はその後3日間陣を張った後に退却し、殿(しんがり)の務めを果たした。


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