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上杉謙信の年表

略年表

享禄3年(1530年)
長尾為景の子として誕生。幼名は虎千代。
天文5年(1536年)
父・為景が隠居して兄・晴景が家督を継ぐ。
時期不明
父の意向で林泉寺に入れられ、住職の天室光育の教えを受ける。
天文11年(1542年)
父・為景が病没。
天文12年(1543年)
元服して "長尾景虎" と称す。晴景の命で古志郡司として春日山城から三条城、次いで栃尾城に入る。
天文13年(1544年)
栃尾城の戦いで初陣し、謀反を鎮圧。
天文14年(1545年)
黒滝城の戦いで黒田秀忠を降伏させる。
天文15年(1546年)
再度挙兵してきた黒田氏を滅ぼす。その後、景虎擁立の動きがはじまり、兄・晴景との関係が険悪になる。

長尾家の家督相続と越後統一

天文17年(1548年)
春日山城に入り、家督を相続して守護代となる。晴景は隠居。
天文19年(1550年)
将軍・足利義輝に景虎の越後国主の地位を認めてもらう。これに長尾政景が謀反を起こす。
天文20年(1551年)
長尾政景を降伏させ、越後統一を成し遂げる。

vs武田信玄、"川中島の戦い" はじまる

天文22年(1553年)
村上義清の援軍要請に信濃国に出陣(第一次川中島の戦い)。
天文24年(1555年)
北条高広の謀反を鎮圧。
同年、再び信濃に出陣(第二次川中島の戦い)。
弘治2年(1556年)
突如出家して隠居。その後、大熊朝秀の謀反のため、帰国して鎮圧(駒帰の戦い)。
弘治3年(1557年)
再び川中島に出陣(第三次川中島の戦い)。
弘治4年(1558年)
下野国に侵攻し、小山氏や宇都宮氏と交戦。
永禄2年(1559年)
再度上洛して正親町天皇や将軍・足利義輝に拝謁し、義輝から管領並の待遇を与えられる(上杉の七免許)。

vs北条氏康、"関東遠征" はじまる

永禄3年(1560年)
北条討伐のため、関東遠征を開始し、北条方の諸城を次々と攻略、厩橋城を拠点とする。
永禄4年(1561年)
  • 関東で小田原城の戦い・松山城の戦いを経て、山内上杉家の家督と関東管領職を相続。"上杉政虎" と改名する。
  • 帰国後、再び川中島へ出陣(第四次川中島の戦い)
  • 同年、再び関東遠征を行ない、年末には将軍義輝の一字を賜り、"上杉輝虎" と称す。
永禄5年(1562年)
越中国への侵攻を開始。
永禄6年(1563年)
再度、関東遠征で北条と交戦。
永禄7年(1564年)
  • 常陸国・小田城、下野国・唐沢山城を攻略。
  • 同年、川中島で再び信玄と対峙(第五次川中島の戦い)。
永禄8年(1565年)
北条氏康の関宿城への攻撃に対し、救援に向かう(第一次関宿合戦)。
永禄9年(1566年)
下総国での戦いに敗退し、関東の豪族らの離反を招く(臼井城の戦い)。
永禄10年(1567年)
再度離反した佐野昌綱・北条高広を降伏させる。

越中一向一揆との戦い、はじまる

永禄11年(1568年)
越中国の一向一揆と交戦(放生津の戦い)。その後、本庄繁長の謀反を鎮圧(本庄繁長の乱)
永禄12年(1569年)
北条氏康と同盟を締結(越相同盟)。このときに法号 "不識庵謙信" を称す。同年、松倉城の戦いで越中に出陣。
元亀元年(1570年)
再び背いた佐野昌綱のいる唐沢山城を攻撃するも、陥落できず。
元亀2年(1571年)
椎名康胤が立て籠もる富山城を中心に越中一向一揆勢と激戦を展開。
元亀3年(1572年)
越相同盟が破棄。越中国の富山城・滝山城を陥落させる。同年、信長と同盟を締結。
天正元年(1573年)
越中の過半を制圧。
天正2年(1574年)
上野国の由良成繁への攻撃(金山城の戦い)、武蔵国での氏政との対陣を経て、関宿城を陥落させる(第三次関宿合戦)。
天正3年(1575年)
養子の喜平次顕景を景勝と改名させ、弾正少弼の官途を譲る。

越中平定と織田信長との戦い

天正4年(1576年)
越中を平定。能登国の拠点・七尾城を囲む(第一次七尾城の戦い)。
天正5年(1577年)
  • 七尾城を落城させ、能登国を平定(第二次七尾城の戦い)。
  • その後、七尾城救援にきた織田方の柴田勝家軍を撃退(手取川の戦い)
天正6年(1578年)
春日山城内で急死。享年49。


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