丁寧に歴史を追求した "正統派" 戦国Webマガジン

上杉一族ゆかりの地を一挙に紹介!──居城・古戦場・墓所など

【謙信ゆかりの地 MAP】

春日山城

春日山城
【春日山城】
  • 所在地:新潟県上越市大字中屋敷ほか

越後国(新潟県)にある上杉氏の居城。日本百名城にも選定されているほどの名城で、周辺には広範囲に砦や土塁・堀などが配置された難攻不落の堅固な山城であった。

謙信の父・長尾為景永正4年(1507年)に越後守護の上杉房能を追放して以降、長尾氏が春日山城主となり、引き続き上杉謙信上杉景勝の代も本拠にしている。その後、豊臣政権期の慶長3年(1598年)に上杉氏が会津転封すると、代わりに堀秀治が入城。しかし、慶長12年(1607年)には廃城となった。

林泉寺(りんせんじ)

林泉寺は越後国守護代・長尾氏、およびその後裔の上杉氏の菩提寺として知られる寺院。慶長6年(1601年)、上杉家の米沢移封に伴って米沢に移されている。

上杉家廟所(うえすぎけびょうしょ)

上杉家廟所
【上杉家廟所】
  • 所在地:山形県米沢市御廟1丁目5-30

上杉家廟所は上杉謙信をはじめ、景勝ら米沢藩主上杉家の代々の墓所。

謙信の死後、その亡き骸は甲冑を着せられて甕に納められ、その甕に漆を流し込んで固められたという。その当初、謙信の霊柩は越後にあったが、後継者の上杉景勝が豊臣政権下で会津に移された際にともに移動し、仮堂に安置されたという。

そして、関ヶ原の戦い(1600年)の後、徳川家から米沢に移動を命じられた上杉景勝は再度、謙信の霊柩もともに移動させた。
景勝は米沢入り後、米沢城本丸に御堂を建立して謙信の霊柩をそこに安置したといい、景勝の死後も米沢藩主十二代に渡って埋葬された。

上杉家廟所は当初、米沢城内御堂の避難所として建てられたものであった。しかし、明治政府の「廃城令」に伴って米沢城が解体された後の1876年(明治9年)、謙信の霊柩はこの”上杉家廟所”に移された。

この地は現在、"米沢藩主上杉家墓所"の名称で国の史跡に指定されている。


 PAGE TOP