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斎藤朝信

斎藤朝信(さいとう とものぶ、1527?-1592?)は越後国の上杉氏の家臣。「越後の鍾馗(しょうき、=道教の神様で邪気祓いと学業成就に効があるとされる鬼神)」と呼ばれた武勇に優れた名将。


経歴

生誕時期や幼少期は不明だが、上杉謙信に仕え、第四次川中島の戦い(1561年)の際には一向一揆に備えるため、越中に出陣して上杉本隊の川中島入りを助けた。その他、下野・佐野城攻め(1564年)、唐沢山城の戦い(1564年)など各地を転戦して功をあげ、織田信長との戦いでは北陸方面軍団の柴田勝家らを魚津城の戦い(1582年)で迎え撃った。

一方で内政・外交においては柿崎景家と共に奉行職、そして、謙信の関東管領職の就任式の際の太刀持ちを務めた。また、上杉家中の家督争いで勃発した御館の乱(1578-79年)の際には上杉景勝を支持し、武田勝頼との交渉も努めたといい、戦後には上杉景勝から刈羽郡の六ヶ所と三条城主・神余親綱の旧領を与えられた。

本能寺の変の後、まもなく老齢で隠居した。

斎藤朝信の略年表

  • 1547年(天文16年)、誕生。
  • 1561年(永禄4年)、第四次川中島の戦いの際、一向一揆に備えて越中に出陣。
  • 1564年(永禄7年)、下野・佐野城攻め、唐沢山城の戦いなどに参戦。
  • 1578年(天正6年)、御館の乱では上杉景勝を支持、武田勝頼との交渉を行なう。
  • 1580年(天正8年)、刈羽郡の六ヶ所と三条城主・神余親綱の旧領を、嫡子・乗松丸にも北条氏旧領から恩賞地を与えられる。
  • 1582年(天正10年)、本能寺の変の後、老齢で隠居。
  • 1592年(文禄元年)、死去。


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