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「伊達成実」亘理伊達氏の家祖となった伊達家の重臣

伊達成実の肖像画
伊達政宗を支えた一門衆の代表格が、伊達成実である。政宗のいとこであり1才年下の頼れる一門だった成実だが、突如謎の出奔を遂げるなど、その生涯は波乱に富んでいる。伊達家の歴史を語る上で欠かせない人物、伊達成実の人生を見ていこう。

伊達一門衆「伊達成実」

戦国大名の家には、一門衆と呼ばれる親戚筋の家柄がある。戦国を生き抜いた名門の家には、本家の当主を支えた優秀な人物たちが、この一門衆から出た。毛利家の「両川」と呼ばれた吉川元春小早川隆景はその代表格にあげられるし、薩摩の島津家は長兄の島津義久を義弘・歳久・家久の兄弟たちが能く補佐し「島津四兄弟」と称されている。 東北の一大勢力伊達氏にも、仙台藩初代藩主の伊達政宗を支えた一門衆があった。

伊達氏は戦国大名の中でも系譜の古い家系で、数多くの一門衆がいる。その中にあって伊達成実は、果たした役割の重要性と突如として出奔した意外性から、伊達氏を語る上で欠かすことのできない人物と言える。
1568年生まれの成実は、主君・伊達政宗の1才年下になる。血縁関係はいとこで、政宗の父輝宗の妹鏡清院を母に持つ。父の伊達実元は輝宗の叔父であるから、二重の血縁関係で結ばれた典型的な一門衆である。生まれながらに政宗を支える役割を運命づけられていたのだ。

伊達成実の活躍

1579年、伊達成実は数え年12才で元服すると、1583年には16才で早くも家督を継いで大森城主となる。 伊達氏が佐竹氏と奥州南部の諸大名連合軍に敗れた1586年の人取橋の戦いでは、まだ19才ながら追走してくる敵軍に立ちはだかって政宗の退路を作った。翌1586年に大森城から二本松城へ移ると、その所領は3万8千石を数え、重臣の地位に相応しい処遇を得ている。 1588年の蘆名義広と相馬義胤連合軍との郡山合戦でも活躍すると、伊達家が奥州の覇権を確立した1589年の摺上原の戦い片倉景綱と共に第2陣を組み、大勝に貢献した。

1590年になると畿内以西を統一していた豊臣秀吉の軍勢が関東になだれ込み、東北にも大きな影響を及ぼした。 いわゆる小田原攻めである。秀吉の許可なく奥州で領土争いを起こしたと責められ、伊達政宗は小田原へ命がけの釈明に赴くことになる。このとき成実は留守居役を任され、もう一度政宗が釈明に京都へ向かった時は、人質となって秀吉方の蒲生氏郷の元に身を寄せている。伊達家を代表する人物の一人と目されていたことが分かるだろう。

成実、謎の出奔

秀吉の赦免を受けた伊達家ではあったが、領土を削減移転され1591年に政宗は岩出山城へと移る。成実も二本松城から角田城へと居城を変えた。さらに1592年には朝鮮出兵に従って渡海している。伊達家が豊臣政権に組み込まれていく中で、成実は政権の首都伏見に移り、伊達家を代表して京都で活動するようになる。ここまでは、成実の一門衆としての活躍に一片の曇りもない。ところが、突如として成実は伊達家を飛び出すのである。

出奔の時期が明確でなく、1595年から98年の間とされるが、その動機となるとさらにはっきりしない。伊達家内での序列の問題や豊臣秀次事件(秀吉の後継者だった甥の秀次が処刑された事件)に関係を求める説があるものの、1600年の関ヶ原戦争が始まって伊達家に帰参してくるまで、成実の行動は謎に満ちている。出奔中に上杉景勝徳川家康から高禄で召し抱える話があったというから、その能力が高く買われていたのは間違いない。

帰参後の成実

帰参後の成実の行動は、それまでの一門衆の重鎮たる立場とほとんど変化がない。1603年に片倉景綱に代わって亘理城に入り、領内の開発に手腕を振るった。用水の改修と塩田開発に成功し、亘理入部当初約6千石だった石高を2万石にまで伸ばし、領地の大幅増収を実現している。

外交面でも活躍した。 1606年に行なわれた政宗の娘五郎八姫と家康の六男松平忠輝の婚礼の使者となり、1614年と15年の大坂の陣には兵を率いて戦陣を走り、奥州の名門最上氏が1622年に改易されたときは野辺沢城接収などを務めた。 出奔していた際には、成実が他家へ仕官しようとしたのを政宗が横やりを入れて邪魔をしたとも伝わる。しかし、帰参後の両者の関係は良好だったようで、数々の重要な局面に成実が起用されており、一門の長老格として二代目藩主忠宗にも厚く用いられた。

1638年、70代の高齢を押して江戸に向かった成実は、3代将軍徳川家光にかつて自らが体験した人取橋の合戦の話をしている。主君政宗は2年前に鬼籍に入っており、政宗の合戦譚を好んでいた家光は成実の話を喜んで聞いたと伝わっている。その8年後に成実は世を去る。さらに3年後には家光も死去して、4代将軍家綱の文治時代へと入っていく。 成実の死と共に、伊達氏の戦国時代は終わったと言えるだろう。

一門の長老伊達成実

伊達家の一門衆に生まれた成実は、当主の伊達政宗を支えながら多くの戦場を駆け巡った。 豊臣政権下で謎の出奔を遂げた後も、伊達家に帰参すると厚く用いられ、一門の長老として重きを成している。 成実の死が、伊達家にとっては戦国の終わりとなった。


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