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伊達政宗の年表

略年表

永禄10年(1567年)
伊達輝宗の嫡男として誕生。
天正5年(1577年)
元服し、伊達藤次郎政宗と名乗る。
天正7年(1579年)
愛姫(よしひめ、めごひめ)を正室に迎える。
天正9年(1581年)
相馬氏との戦いで初陣を飾る。
天正12年(1584年)
家督を継ぎ、伊達家第17代当主となる。
天正13年(1585年)
父・輝宗を殺害。人取橋の戦いに参戦。

豊臣政権下

天正16年(1588年)
大崎合戦、郡山合戦に参戦。
天正17年(1589年)
摺上原の戦いに参戦。
天正18年(1590年)
小田原征伐で秀吉に従属。遅参により、会津と仙道南部を没収される。
天正19年(1591年)
  • 蒲生氏郷とともに葛西大崎一揆を鎮めるも、自らが一揆を煽動したことが露見。
    弁明して秀吉に許されるも、米沢城72万石から玉造郡岩手沢城へ58万石に減転封される。
  • 秀吉から羽柴の名字を与えられ、「羽柴大崎侍従」と称す。
文禄元-2年(1592-93年)
文禄の役に従軍。
文禄4年(1595年)
秀次事件の際、秀吉に謀反への関与を疑われるも、最終的に赦免される。
慶長2年(1597年)
従四位下・右近衛権少将に任ぜられる。
慶長4年(1599年)
秀吉死後、政宗の長女・五郎八姫と家康の六男・松平忠輝を婚約させる。

秀吉死後

慶長5年(1600年)
関ヶ原では東軍に属し、慶長出羽合戦で上杉軍と激突。
関ヶ原合戦の長期化を見据え、岩崎一揆を煽動するも、露見して、家康から約束の百万石のお墨付きを反故にされ、合戦終了後も帰国を許されず、江戸の天下普請に動員されるなど2年間を領国外で過ごす。
慶長6年(1601年)
国分氏の居城・千代城を修築して「仙台城」と改称し、居城を岩出山城からここに移す。
同時に政宗を初代藩主として仙台藩を成立させる。

江戸時代・仙台藩主として

慶長13年(1608年)
「松平」の名字を与えられ、「松平陸奥守」と称す。
慶長18年(1613年)
仙台領内でガレオン船(西洋式帆船、黒船)のサン・ファン・バウティスタ号を建造。
慶長19年(1614年)
大坂冬の陣では大和方面軍四番手として布陣。
同年12月には将軍・徳川秀忠から伊予宇和郡(現在の愛媛県宇和郡)を賜る。
慶長20年(1615年)
大坂夏の陣の道明寺の戦いで後藤基次を討つ。

晩年

寛永11年(1634年)
体調不良を訴える。
寛永13年(1636年)
死去。


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