あなたの好きな戦国武将が詳しく丸ごと早わかり! 最大級の戦国まとめサイト

【名場面:伊達政宗】会津平定こぼれ話と関東進出の野望(1589年)

敵将の年齢を見抜く

※『名将言行録』より

天正17年(1589年)、二階堂氏の一派が抵抗した「須賀川の役」のときの話である。

このとき、ある敵将2人の戦いぶりをみながら、政宗は言った。

伊達政宗アイコン

政宗

むう、あれはなかなかの勇士だな。1人は20歳ぐらいで、もう1人は30余歳であろうか。

そして、政宗は田村月斎と橋本刑部に命じて彼らを生け捕りにさせ、年齢を聞いてみた。

伊達政宗アイコン

政宗

お主ら、名と年を申してみよ。

すると、政宗の言ったとおり、 "大浪新四郎21歳"、"遠藤武蔵35歳" ということであった。

とある家臣

殿はなぜ、2人の年がわかったのでございますか?

家臣アイコン

とある家臣が政宗に問いかけると、政宗は・・・

伊達政宗アイコン

政宗

1人は勇んで相手を選ばずに戦っておった。そのような戦い方は弱冠の者のすることだ。もう1人は強い相手を避け、弱い相手を選び、進退のツボをよく心得ておった。壮年にならなければできぬことだ。

と答えたという。

この戦いは、政宗と内応する二階堂氏一門の保土原行藤が先導役をつとめたことで、須賀川城を攻め落とし、勝利を収めた。ここに政宗は会津平定を成し遂げたのであった。


「人は堀・石垣・城」とは真の事

※『名将言行録』より

天正17年(1589年)の末頃、政宗はついに会津を平定し、東北の地で屈指の規模を築いていた。

こうした情勢をみた政宗の老臣や宿将らは互いに話し合った上、政宗に進言した。

老臣たち

老臣A:昔と違って今では諸大名同士が参会され、他家からの使者も多くなりますが、我が城は小さくて粗末で、城下もまたずいぶんと狭くなりました。

老臣B:そろそろご普請になり、ご城下を開かれるのがよろしいかと。このままでは外聞もいかがなものかと存じます。

家臣アイコン
伊達政宗アイコン

政宗

うむ。それはもっともだが、わしは城を普請しようなどとは思わぬ。城などに念を入れるのは、あちらこちらに申し合わせて「敵が攻めてきたら助勢して下され」などと約束するような小身の者たちであろう。そういう者たちは堅固に普請をすればよいのだ。

老臣たち

老臣A:!!
老臣B:!!!
老臣C:!!!!

家臣アイコン
伊達政宗アイコン

政宗

しかし、わしは昔から他国の大将に頼り、助けを求めて生き延びよう等とは思っておらぬ。
敵が攻め寄せてくれば境界まで討って出るか、もし、分が悪ければ退いて敵を領内に引き込み、家中の者たちと申し合わせ、精を入れて一か八かのいくさをやって、敵をくじくか討死するかのどちらか、と前から決めておる。
籠城して数カ月を送ったところで、家中は騒ぎ、助けてくれる隣国もなければ、むなしく城内で餓死するだけのことだ。

ましてや汝らが言うように、今は領土も手広くなって軍勢も昔の10倍にもなったのだ。おそらく近国はわしの領分へ手をだす者はおるまい。

老臣たち

老臣A:・・(なんとも勇ましい。。)

家臣アイコン
伊達政宗アイコン

政宗

わしはこの城を大事にして、ここに無駄にいつまでも居座ろうとも思わん。
来春には軍を率いて出立し、向かってくる者は敵、従ってくる者は味方として関東に旗を立てて新たな土地を切りひらくつもりだ。だから今、わしは「戦の掟、軍費、功を立てたものを賞すこと、不忠不義のいましめ」など、すべて道理にかなったものにしようと朝夕考えておる。

老臣たち

老臣A:なんと!
老臣B:そのようなことをお考えとは・・

家臣アイコン
伊達政宗アイコン

政宗

そこでまず第一には、みなが愚痴や恨みのないようにと思うておる。

古い家々が滅ぶのをみると、家中に恨みを持つ者がおり、君に背いて敵と内通し、そして家中が騒ぎ出してついに身を滅ぼすということが少なくない。禍は内にあって外から来るのではない。他家の者がきて、この城の粗末さを笑うことは、わしとしても恥ずかしいことだが、国のためには替えられぬ。
わしの領国が広がるにつれ、お主らも少しずつ領地の加増を受けて妻子を養い育てていけるのは、お主らが精を出して奉公してくれるおかげだ。

老臣たち

老臣A:ううっ(なんともありがたき言葉じゃ~。)

老臣B:・・(わしゃこのお方に一生ついて参るぞ~。)

家臣アイコン
伊達政宗アイコン

政宗

古歌に「人は堀、人は石垣、人は城、情けは味方、あだは大敵」とある。フフフ、これはまことのことだな。

こう言って政宗は笑った。家中の者たちはこれに感服して退出したのであった。


 PAGE TOP