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3分でわかる伊達政宗の生涯

伊達政宗(だて まさむね、1567-1636年)は伊達家第17代当主。

経歴

相馬氏との合戦で初陣を飾り、父・輝宗の隠居にともない、家督を相続して伊達家当主となる。このとき、すでに秀吉が天下を掌握しつつあり、九州平定(1587年)を果たした秀吉は関東での惣無事令(私戦禁止令)を出す。しかし、政宗はこれに応じずに戦いを続け、蘆名氏や二階堂氏らを滅ぼし、大崎氏、葛西氏、結城氏らを勢力下に置き、南奥羽を支配していった。

秀吉による小田原征伐(1590年)の際には、従属するかどうかの判断に送れ、遅参したことで会津と仙道南部を没収され、黒川城から米沢城に移った。戦後、葛西大崎一揆で一揆を煽動していたことが露見し、米沢城72万石から玉造郡岩手沢城58万石へ減転封となる。

関ヶ原合戦(1600年)では徳川方につき、慶長出羽合戦で上杉軍と激突。合戦前に家康から「百万石のお墨付き」と呼ばれる50万国下封の覚書を与えられるも、戦後、岩崎一揆を煽動する策略が発覚し、約束は反故にされた。

以後、国分氏の居城・千代城を修築して「仙台城」と改称し、ここを居城として同時に城下町の建設もすすめ、仙台藩を成立させる。のちに仙台藩とスペインとの通商の計画を図り、支倉常長を派遣するも、幕府が禁教令を出してキリシタン及び宣教師の弾圧が始まったため、スペインとの外交交渉は失敗に終わった。

大坂の役(1614-15年)では道明寺の戦いで後藤基次を討ち、真田幸村と接戦するなど功をあげ、戦後は仙台において新田開発、河川改修、運河の整備など、積極的に国の開発に努めた。


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