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三好政長

三好政長(みよし まさなが、1508-1549年)は三好氏分家の一族で三好勝時の三男。


経歴

主君・細川晴元を擁する堺公方勢力内では三好本家当主・三好元長と対立するようになり、しばしば晴元に讒言して元長を陥れようとする。そして、一向一揆を煽動して三好元長を殺害すると、細川晴元政権の重鎮となって大きく権勢を振るうようになる。

しかし、元長の嫡男・三好長慶が晴元に仕えるようになると、河内十七箇所の代官職を巡って対立し、小競り合いとなる。この代官職は元々は三好元長が任命されていた職であったが、その死後に政長が任命されていたためであった。

細川晴元のもとで長慶が台頭してくると、軍事行動を共にするようになるが、摂津国人・池田信正(政長の娘婿)が晴元の屋敷で切腹させられた事件を機に、三好長慶・細川氏綱・遊佐長教らの反乱を招き、江口の戦い(1549年)で討ち死にした。

略年表

  • 1508年(永正5年)、三好勝時の3男として誕生。
  • 1520年(永正17年)、伯父・三好之長と長兄・新五郎が死去。
  • 1526年(大永6年)、細川高国政権内の内紛を機に主君・細川晴元が挙兵し、政長は阿波勢の先鋒として堺に上陸、摂津堀城を占拠。
  • 1527年(大永7年)、桂川原の戦いで高国に勝利し、上洛を果たす。同年、三好本家当主・三好元長が足利義維と晴元を擁立して堺に上陸、幕府と酷似した堺公方府を誕生させる。元長とは対立関係に。
  • 1528年(大永8年)、三好元長による細川高国と12代将軍足利義晴との和睦の動きに反対し、晴元を説得して元長を窮地に立たせる。
  • 1529年(享禄2年)、元長が阿波へ帰国し、代わりに阿波勢を率いる立場に置かれる。
  • 1530年(享禄3年)、細川高国が挙兵すると、晴元と相談して元長を復帰させる。
  • 1531年(享禄4年)、元長が中嶋の戦い・大物崩れで高国を討ち取って台頭すると、再び元長と対立。
  • 1532年(享禄5年)、天文の錯乱で一向一揆を煽動し、畠山義堯・三好元長を討ちとる。
  • 1539年(天文8年)、元長の嫡男・三好長慶が上洛し、河内十七箇所の代官職を巡って対立。小競り合い後に和睦。
  • 1541年(天文10年)、木沢長政討伐に参加。
  • 1542年(天文11年)、太平寺の戦いに従軍し、木沢長政を討つ。
  • 1544年(天文13年)、隠居して嫡男・政勝に家督を譲る。
  • 1545年(天文14年)、上野元治・元全父子の反乱を鎮圧。
  • 1546年(天文15年)、細川氏綱の反乱に呼応した摂津国人を討伐。
  • 1547年(天文16年)、舎利寺の戦いに参戦。
  • 1549年(天文18年)、江口の戦いで三好長慶に敗戦し、討ち死に。


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