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毛利元就の妻と子供たち

元就の妻子について、まずは以下に系図と一覧で示したのでざっくりみてみよう。

元就の正室・側室は以下のとおりである。

  1. 妙玖(正室、みょうきゅう、1499-1546年)
  2. 乃美大方(継室、のみのおおかた、?-1601年)
  3. 中の丸(継室、なかのまる、?-1625年)
  4. 三吉隆亮の妹(側室、?-?年)

正室の妙玖は吉川国経の娘。側室に乃美大方、三吉隆亮の妹、中の丸がいる。

次に元就の子どもたちは以下。

  1. 毛利隆元(嫡男、たかもと、1523-63年)
  2. 吉川元春(二男、もとはる、1530-86年)
  3. 小早川隆景(三男、たかかげ、1533-97年)
  4. 穂井田元清(四男、もときよ、1551-97年)
  5. 椙杜元秋(五男、もとあき、1552-85年)
  6. 出羽元倶(六男、もととも、1555-71年)
  7. 天野元政(七男、もとまさ、1559-1609年)
  8. 末次元康(八男、もとやす、1560-1601年)
  9. 毛利秀包(九男、ひでかね、1567-1601年)
  10. 五龍【宍戸隆家室】(長女、?-1574年)
  11. 女子【上原元将室】(二女、?-?年)

元就の妻子の事跡

さて、それでは次に元就の妻子たちの事跡をそれぞれみていこう。

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妙玖(正室)

毛利3兄弟と1女を産んでいる。

  毛利隆元(嫡男、たかもと)
元就から家督を譲り受けて毛利家当主になるが、毛利氏が陶晴賢や大内氏を滅ぼし、さらに勢力拡大で尼子氏と戦っていた頃に急死した。死因は食中毒、毒殺されたなど諸説ある。
子にのちの毛利家当主・毛利輝元がいる。

  五龍(長女)
安芸国衆の宍戸氏との戦いで和睦した際、当主・宍戸隆家に嫁がれた。

  吉川元春(次男、もとはる)
幼年期に吉川興経の養子として送られ、吉川氏を家督相続で乗っ取った。弟の隆景と共に「毛利両川体制」で主に軍事面で活躍。毛利家が秀吉に臣従すると隠居した。

  小早川隆景(三男、たかかげ)
幼年期に竹原小早川家に養子に送られ、竹原小早川家と沼田小早川家を継承して両家を統合した。兄の元春と共に「毛利両川体制」で毛利家を支えた。のちの豊臣政権では五大老の一人となった。


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乃美大方(継室)

元就の四男、七男、九男の3人の男児を産んでいる。

  穂井田元清(四男)
猿掛城主・穂井田元資の養子となり、穂井田性を名乗る。織田政権との戦いで最前線に立った勇猛な武将であり、のちに安芸桜尾城に帰って毛利姓に復した。輝元の信任も厚かったという。

  天野元政(七男)
安芸国の国人の天野氏当主・天野元定の死去に伴って家中に内紛が起きたとき、これに介入した元就によって、元定の婿養嗣子として家督を継いで天野姓となった。

  毛利秀包(九男)
羽柴秀吉に人質として送られた際に秀吉から「秀」の字を賜って秀包(ひでかね)と称した。豊臣政権下では筑後国久留米の大名となり、その後、洗礼を受けてキリシタンとなっている。


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中の丸(継室)

小幡民部大輔元重の姉というが、その出自は詳らかでない。元就との間に子はなかった。

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三吉氏(側室)

元就の五男、六男、八男の3人の男児を産んでいる。三吉新兵衛尉広隆、または九郎左衛門の娘というが詳しい事蹟は不明。

  椙杜元秋(五男)
蓮華山城主・椙杜隆康の養子に入り、椙杜元秋と名乗る。毛利氏が尼子氏を滅ぼしたのち、富田氏を称し、まもなく、月山富田城の城主となった。

  出羽元倶(六男)
毛利家臣の出羽元祐に嗣子が居なかったことから養子となったが、早世した。

  末次元康(八男)
元就から出雲国の末次城を与えられたことから名字を末次とした。

  女子【上原元将室】(二女)
上原右衛門大夫元将に嫁いだ。その他の事蹟はわからない。


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