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毛利元就の名言・逸話まとめ

幼年期

寛大な子供

元就が幼少の頃のあるとき、その傳役が元就を抱いて水の中を渡ったときにつまずいて溺れた。傳役は恐れ入って謝ったが、これに元就は「道を歩いてつまづくのはありがちなことだ。少しも気にすることはない」と言ったという。

白鶏と狐(元就7歳)

元就が7歳のとき、かわいがって飼った白鶏が狐の仕業でいなくなってしまった。そして元就が狐を殺そうとしているのを知った母が使者を遣わしてそれを止めようとした。
これに元就は「家臣がけんかして一方を殺した場合、殺した者をお助けになりますか?この鶏はまさか狐に対して不埒なこともいたしますまい。それなのに食べ殺した罪は決して軽くはありません。鶏も私の家来。狐もこの邸地にいるから家来も同然です。だから狐を殺すのは道にはずれてはいません。」
といって使者を追い返したという。

大志(元就12歳)

元就が12歳のとき、厳島神社の詣から帰ってきて、従者に何を祈ったのかを聞いた。
従者はみな、少年の元就の気持ちにあわせる形でそれぞれが答え、その中で守役の者は、元就が中国支配を成し遂げるよう祈ったと答えた。

これに元就が「日本全国を支配するように祈ればよいものを」と言い、守役が「まずはこのあたりを支配することから始めて・・」と返した。すると元就は「日本全国を取ろうとすれば、だんだんと中国は取れる。中国だけをと思えば、どうして中国を取ったらよいのか」と言ったといい、従者らはその抱負の大きさを珍しく思った、という。

元就の相(元就17歳)

永正10年(1513年)、人相をみる朱の良範という者をしたがえて明の使者がやってきた。

良範は元就をみると「公は漢高祖と唐太宗の相を兼ねておられる。かならず威を四方にふるわれることであろう」と述べた。それを聞いた元就は心の中で自負した。
元就は眼光に威光があり、顔は面長で鼻も高く、鬚髯(しゅぜん)は神のようである。声も大きく兵に号令するときは諸隊にまで聞こえたということだ。

家督相続以後

桂元澄を諭す(元就27歳)

大永3年(1523年)、毛利家の後継者となった元就は自分を殺害しようと企てる弟・相合元綱とその家臣・坂、渡辺らを謀殺した。
元就は坂の兄弟・志道広好と桂広澄を「坂の縁故があるといっても、お主らを疑いはせぬ」と言って諭し、広好はこれを受けたが、桂広澄はその言葉を信じずに自殺。このため広澄の子・桂元澄らは一族を集結して城に籠城した。

元就は使者を出して諭すも、上手くいかず、ついに元就は自ら城へ赴いて「わしには全く他意はない。もし疑うのなら、今わしは1人だから討ち殺すがよい!」と言った。そして桂元澄らは悔いて元就に謝罪し、元就もまずます温かい言葉をかけて諭したため、ついに彼らは毛利家開国の家臣となったという。(『名将言行録』)

尼子晴久の病気の噂

尼子晴久の出雲へ攻める前のある時、毛利の老臣らが尼子晴久の病気を耳にして喜び、元就に伝えてきた。これを聞いた元就は「敵が言いふらした計略かもしれないのに、それを我々父子の前で言いだすとはあるまじき事だ」と腹を立て、病気の噂はぴたりと止んだ。しかし、晴久は本当に病気であったため、間もなくして没した。

元春と隆景の才を見抜く

元就は、北国の武士が計略を好まずに勇猛なことを第一に合戦にのぞむ傾向があり、一方で南国の武士は交際上手で計略を好む傾向にあることを伝え聞いていた。
ある日、まだ幼少の二男・元春と三男・隆景が5対5で雪合戦を行なっていた。1度目は元春が力で雪をひたすら投げつけて隆景を打ち負かした。しかし、隆景が再戦を希望した2度目には、仲間を伏せておいた側面攻撃によって隆景が勝利した。

この様子をみていた元就は将来、北国に元春を、南国に隆景を担当させることを決めたといい、のちに2人はその通りにそれぞれの方面を担当して討伐し、毛利家の中国制覇に多大な貢献をしたのであった。(『名将言行録』)

酒を慎む

我は酒が飲めぬから、かように長生きなのだ。酒を飲まなければ、70、80まで健康でいられて、目出度いことだ。(尾崎局に送った手紙)

これは元就が孫・輝元の母である尾崎局(おざきのつぼね)に送った手紙にある言葉。元就は父・弘元や兄・興元が酒によって短命だったことから、輝元が酒を覚えたのが気がかりであったようである。母から酒をなるべく慎むように輝元に注意してほしいとの想いで手紙を送ったとされている。

天下は望まない

われ、天下を競望せず(『吉川文書』)

「我は天下を競い合うつもりはない」といった意味。元就は天下を狙えるほど勢力拡大したが、これ以上のものを望まない意志を表明した。

家臣の傷口を吸う

出雲・島根の陣で家臣・岩木道忠が左膝を矢で射られ、矢尻が体内に残ってしまった。元就は医者にみせたが「足を切断しないと治りません」という。

これに怒った元就は自らの口で道忠の傷口を吸うと、矢尻がとれて元就の口に入り、傷は無事に治癒できた。道忠が感動して、死んでこの恩に報いようという堅い決意の表情をすると、元就は「部下の命を守るのにこれしきのことをするのは当然だ」と深く戒めたという。

三本の矢

この矢一本なれば、最も折りやすし。しかれども一つに束ぬれば、折り難し。汝ら、これに鑑みて、一和同心すべし。必ずそむくなかれ。

これは毛利元就の最も有名な"三本の矢"のエピソードの言葉。元就が死の間際、「一本の矢だと簡単に折れるが、三本の矢を束にしてだと折ることが難しい」ことを3人の息子(隆元・元春・隆景)に教え、3兄弟の結束を強く訴えかけたというもの。

その他

常に合戦

元就が生涯において参戦した合戦の数は、220を超えるという。

楠木正成の再来

大内義興は元就を「楠木正成(くすのき まさしげ)級の優れた武将であり、きっと正成の生まれ変わりであろう。」と賞賛している。(『名将言行録』)

足利尊氏・新田義貞と同等?

山本勘助は元就を「昔のことはさておき、近き代では足利尊氏・新田義貞より以後では、ただ元就だけである」と賞賛している。(『名将言行録』)

政務・家臣掌握術に長ける

朝倉宗滴は自身の著作『朝倉宗滴話記(続々群書類従所収)』の中で政務・家臣掌握術において今川義元、武田信玄、上杉謙信、織田信長らと共に高く評している。

辞世の句

友を得て なおぞ嬉しき桜花 昨日にかはる 今日のいろ香は


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