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【名場面:毛利元就】お家騒動で敵対した一族を諭す(1524年)

※『名将言行録』より

元就の兄・毛利興元が酒におぼれて25歳の若さで急死すると、毛利氏の家督は興元の嫡男・幸松丸が継いだが、まだ子供だったために元就が後見人となった。
しかし、大永3年(1523年)には幸松丸も若くして病死し、後継ぎがいなかった。

毛利家中では家臣たちが相談して、元就を継がせることに決定した。元就の弟は相合元綱という。元綱の家臣である坂広秀、渡辺らは元就を殺して元綱に毛利家を継がせようと目論んだ。

元就はこれを知って、勝一という盲目の者を元綱のほうに遣わし、平家琵琶を語らせるなどして酒宴を催して油断させ、かねて兵を伏せておいて、元綱、坂、渡辺らを殺させたのであった。

坂氏は毛利氏の庶流であり、さらにその坂氏の庶流に志道氏があった。
元就は謀反を起こした坂広秀の一門にあたる桂広澄、志道広良の2人を諭そうとすぐに井上河内守を遣わせた。

--坂一門の居城--

井上河内守

元就公の意を伝えに参った。
元就公は「坂の縁故があるからとはいっても、汝らを疑うようなことはせぬ。」と申しております。粛清するような意はないかと。

家臣アイコン

坂一門ら

志道広良:それはまことか!それはありがたきこと。(た、助かるのか・・)
桂広澄:・・・(きっと処刑じゃ。・・わしが責任を取るしかないかのう。)

家臣アイコン

志道広良はこれを受けたが、桂広澄のほうは疑ってこれを信じず、ついには自殺してしまった。このため、広澄の子である元澄は粛清されると思い、一門を集めて城に立て籠もってしまった。

これに対し、元就は今度は児玉就忠を派遣して説得にあたった。しかし・・・

坂一門ら

桂元澄:元就に騙されてなるものか!
一門A:そうじゃそうじゃー!

家臣アイコン

これも信じず、坂一門は元就によって粛清されると思いこんだまま、依然として籠城を続けたため、元就はついに自ら説得のために坂一門の籠もる城へ出かけていった。

毛利元就アイコン

元就

わしには全く他意はない。もし疑うのであれば、今はこうしてわし一人であるから討ち取るがよい。

これに元澄らはたちまち先非を悔いて、罪を謝した。元就はますます温かい言葉をかけて諭したため、ついに彼らは毛利家開国の家臣となったのである。


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