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【名場面:毛利元就】白鹿城攻めにおける士気高揚の智恵(1563年)

嫡男の死と白鹿城攻め

※『名将言行録』より

永禄6年(1563年)、尼子氏の支城・白鹿城攻めのとき、元就の嫡男である毛利隆元が急死してしまった。これに家中では元就のことをひどく心配していた。

元就家臣たち

家臣A:ああ、なんてことじゃ。
家臣B:殿が知ったらひどく悲しむじゃろうに。
家臣C:ここは一旦は戦は取りやめかのう。。

家臣アイコン

しかし、この報を聞いた元就の様子は意外なものであった。元就は次男の吉川元春、三男の小早川隆景らの前で語った。

毛利元就アイコン

元就

・・隆元の死はしかたのないことじゃ。考えてみるに、これはひとえに尼子氏滅亡の墓である。
わしやお前たちはいうまでもないが、家中の下々にいたるまで、隆元の弔いとして、尼子退治の心がけは尋常一様(一般的なこと)のものであってはあるまい。

吉川元春アイコン

吉川元春

うううっ・・兄上~。

小早川隆景アイコン

小早川隆景

くうっ・・・・。

毛利元就アイコン

元就

泣くでない・・。我らみなが堅き決心をもってすれば、この軍勢をもって尼子を討ち滅ぼすことはなんの苦もないことじゃ。

元就家臣たち

家臣A:・・・(どうやら殿は心配なさそうじゃのう。)
家臣B:うう・・(殿がもっともお辛いはずなのに・・。)
家臣C:・・・(よーし!戦じゃ~。やってやるだぎゃ~。)

家臣アイコン

元就が気持ちよく語ったことに、家中上下の者たちはみな安心し、一同勇みあった。

そして元就は自らが大将として白鹿の城を攻め込み、ついにこれを落としたのである。
これは隆元の死によって大事な一戦をさまたげられるのを心配した元就が、逆に士気を上げるために活用したことによる勝利であった。。


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