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【名場面:毛利元就】月山富田城包囲戦こぼれ話(1565-66年)

神の化身か?尼子の刺客が驚愕

※『名将言行録』より

永禄8-9年(1565-66年)頃、元就が洗合に陣をとって月山富田城を包囲していた時のこと。

尼子の家臣に熊谷新右衛門・原宗兵衛という2人がいた。この2人が主君・尼子義久の前にでて言った。

熊谷新右衛門

降参して元就の洗合の陣に赴けば、元就めは必ずや対面をするでしょう。そのときの隙をねらい、我ら2人が同時に飛びかかり、刺し殺してしまえば、なんということはありません。

家臣アイコン

原宗兵衛

そのときにはどうか、我らの子たちに所領を賜りたく存じます。

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これを聞いた義久は大変よろこび、さっそく2人の子に若干ずつの知行を与えた。

熊谷新右衛門

どんな猛々しい元就といえども、我ら2人が左右から捕えれば、よもや逃すことはあるまい。

家臣アイコン

原宗兵衛

フフ、元就ごときを討つことなどたやすい事よ。

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こうして2人は大口をはき、出かけて言ったのであった。

---元就の陣営---

熊谷と原の2人は洗合に着いて降参の旨を伝えると、案の定、元就はすぐに対面した。その日は降人(=降参したもの)が3000余人もあって、2人もまたその中に混じって元就の前に出た。しかし、予想に反して上段の間には元就父子3人が着座しており、次に福原・桂・児玉以下の毛利家臣らが20余人も並んでいたのである。

2人は元就につけ入る隙も見当たらず、ただお辞儀をするだけで退出したのであった。

毛利元就アイコン

元就

今日の降人のうち、5・6人目に出てきた者は疑わしい。きびしく番人をつけておくのじゃ。

元就はこう言って警固の者を数人置いた。そして2人は何もできず、警固の隙をうかがって富田城に逃げ帰った。

---月山富田城---

2人が富田城に戻ると、義久から結果をたずねられた。

熊谷新右衛門

そ、それが・・・。かくかくしかじかで・・・。

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事のいきさつを説明し、しまいには・・・

原宗兵衛

元就は人間とは思われません。どうも神の化身ででもございましょう。。

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と、両人は語ったのであった。


大力の士

※『名将言行録』より

月山富田城が包囲されて窮地に立たされていた尼子氏は、和睦の使者として大杉抜右衛門という怪力の将を元就のもとへ遣わした。彼の"抜右衛門"という名の由来は、かつて周囲二尺程もある杉を根こそぎ引き抜いたため、主君の尼子経久がそう呼んだのである。

元就はその抜右衛門の大力を誉め、そして言った。

毛利元就アイコン

元就

大木ではないが、庭の前にある杉を抜いてみせてくれぬか?

大杉抜右衛門

い、いや、それはちょっと・・・。

家臣アイコン
毛利元就アイコン

元就

・・では貴殿ほどの力持ちではないが、この杉をひっこ抜くほどの力持ちが我が方にもいるから、抜かせてみせよう。
藤十郎!!

廻神藤十郎元豊

殿、いかがなされましたか。

家臣アイコン
毛利元就アイコン

元就

杉を引き抜いて、抜右衛門殿にお見せしてみよ!

廻神藤十郎元豊

はっ!承知いたしました。

家臣アイコン

元豊は承知して立ち上がると、杉をいとも簡単に抜いて庭の中ほどに倒したのであった。

これは元就が前日から杉の根を切っておいたから成せたことであり、元就が敵の気を奪おうと考えた策であった。
抜右衛門は恐れをなした様子で退出していったという。


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