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「岩成友通」三人衆の一人として長慶死後に台頭。最期まで信長に抗う。

岩成友通の肖像画
よくゲームや小説の中でひとくくりにして語られることの多い三好三人衆。岩成友通はその中の一人として知られている。

畿内で登用された新参衆

友通がいつどこで産まれ、父母が誰なのかなど、出自はハッキリしない。大和国出身である説や備前国から流れてきたという説、西九条の荘園の下級役人だったという説もあり、どちらにしろ三好氏の本拠地であった阿波出身ではなく、三好氏が畿内に勢力を広げていく中で新しく登用されたと推察されている。

彼が史料に初めて登場するのが天文19年(1550年)であり、翌天文20年(1551年)には、堺で天王寺屋の津田宗達の茶会に出席しているのがわかっている。
この頃の中央は、すでに三好長慶の政権が確立されていたが、友通はその三好家において奉公衆に任ぜられており、長慶時代にどれほど活躍していたのかは不明である。しかし、長慶からの信頼は厚かったようであり、長慶の死後に彼の後継である三好義継の後見役として同僚の三好政康、三好長逸ととも任命されている。この2人に友通を加えた三人がいわゆる "三好三人衆" であり、友通は外様出身者としては松永久秀に次ぐ出世頭の一人として三好政権の運営を担うことになる。

久秀と敵対し、三好家は二分化

永禄8年(1565年)5月には長慶の死に乗じて幕府権力の復権を狙った13代将軍足利義輝を襲撃、殺害する永禄の変を松永久通らとともに起こす。しかし、この後まもなくして畿内の支配権をめぐって大和国の実力者である松永久秀と対立し始め、同11月に飯盛山城を襲撃して久秀と敵対する事を宣言し、さらに阿波に拠っていた平島公方の足利義栄を第14代室町幕府将軍に擁立する。

永禄9年(1566年)には山城国の勝竜寺城を手に入れ、敵対した現地の土豪たちを追放して彼らの土地を新しい領主に与え、勝竜寺城を新たな拠点とした。久秀との戦いにおいては序盤こそ優勢だったものの、傀儡の当主・三好義継が久秀方に鞍替えすると、永禄10年(1567年)の東大寺大仏殿の戦いで久秀に大敗してしまう。

信長上洛で、幾内の覇権を失う

久秀と畿内で戦いを繰り広げている最中、永禄11年(1568年)織田信長が永禄の変で殺害した将軍義輝の弟・足利義昭を奉じて上洛を開始した。

友通は京への主要ルートである南近江の六角氏と結んで信長率いる上洛軍に対抗しようとしたが、その六角氏がわずか一日で自らの城を捨てて逃亡。そのまま上洛した信長により、内紛によって弱体化していた三好氏は抵抗すらほとんどできないまま信長に敗北してしまう。
こうした中でも友通は自らの居城である勝竜寺城において果敢に抵抗した。これは友通に従属していた国衆らがすぐに離反せずに信長軍に抵抗しつづけた、として一定の成果を上げた出来事ではあったが、結局信長軍を抑えることができることはできず、摂津国への逃亡を余儀なくされた。ちなみにその直後には自らの手駒であった将軍義栄が病死し、後ろ盾を失っている。

ここに幾内を押さえた信長が三好政権に代わって織田政権が、そして15代将軍義昭が誕生した。

信長とは徹底交戦!

しかし、山城国から敗走した友通ら三好三人衆はすぐに反撃にでた。上洛後すぐに信長軍が本拠・美濃国へと引き返した隙をついて、義昭の仮御所であった本圀寺に襲撃したのである。

永禄12年(1569年)正月に行われたこの本圀寺の変では、三好軍は兵力こそ敵よりも5倍以上多かったものの、織田・幕府方の明智光秀らによる奮戦で陥落できず、そうこうするうちにかつての傀儡主君・三好義継や細川藤孝ら織田・幕府軍の後詰を許してしまう。結局友通らは一気に劣勢に追い込まれて桂川付近で戦うも撃退された。

友通はその後も信長に対抗し続けたが、結局京都を奪還することができないまま信長に臣従することに。従属後ある程度は信長と信頼関係を結んでいたようだが、やがて信長と不和になった将軍義昭が幾内周辺の大名に呼び掛けて反信長勢力を結集すると、一転してこれに加わり、再び信長と敵対する道を選ぶことになる。

しかし、天正元年(1573年)8月に細川藤孝によって居城の淀古城が攻撃されると、友通は味方の裏切りによって敵中に孤立してしまう。それでも奮戦を続けていた友通だったが、藤孝の家臣と取っ組み合いとなった際に城の堀に落下しそのまま討ち取られた。享年は明らかにはなっていないが40前半だと推察されている。

友通の戦死時に同じ三好三人衆である三好長逸は行方不明となっており、三好政康はすでに戦死していた。友通の死によって三好三人衆は完全に消滅し、さらに義継が若江城で信長に敗れ自害したことにより三好氏は畿内における拠点をすべて喪失し、日本の副王とまで言われた三好氏はここに天下取りレースから完全に脱落したのである。


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