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【名場面】姉川前哨戦・八相の退き口(1570年)

※『名将言行録』より

元亀元年(1570年)6月、信長は義弟・浅井長政の裏切りに対する報復のために出発し、同28日には姉川の地で浅井・朝倉連合軍と激突した。信長はこの戦いに勝利した後、追撃して長政の居城・小谷城付近をことごとく焼き払ってから退却した。

これより先の21日、信長は小谷城の城下町を広範囲に渡って焼き払わせていた。

--浅井陣営・小谷城--

浅井長政

くっ!このようなやり方は勇猛の将のすることではない!!討ってでるぞ!

浅井長政アイコン

老臣たち

老臣ら:殿!お待ちくだされ。それでは信長の思うつぼですぞ!

家臣アイコン

浅井長政

くっ!

浅井長政アイコン

こうして老臣らに諌められた長政は越前の朝倉義景の援軍を待つことにした。

一方の信長は、その間に思いのままに放火し、最前線の兵を森可成と替わらせ、自らは足軽の中にまぎれて八相山の近くまで偵察に行った。そして柴田・池田・森・佐久間らの諸将を集め、明日の退き口が重要である旨を相談していた。

---信長陣営---

織田信長アイコン

信長

わしが先程、斥候(=偵察)にでたあたりに浅井は必ず出てくるだろう。明日の退き口については計画があるゆえ、一切の事はわしの下知に従え。

これに対し、重臣の柴田勝家が言った。

柴田勝家アイコン

勝家

それがしの手勢2千、また、森・佐久間もほぼ同じ兵力ゆえ、明日の殿(しんがり)を務めるのは、人が多いといえども、それがし、もしくはあの2人(森・佐久間)にまわってくると存じます。
浅井は昼の合戦はしないゆえ、退き口にはかならず出てまいりましょう。その際のご策略はいかがいたしましょうか?

織田信長アイコン

信長

うむ。わしが思うところは少し違う。まず明日は後にわしをおいて、各々は夜中に三里ほど退いてそこで備えよ。明日の殿(しんがり)には手回りの小姓だった者に申しつける。

柴田勝家アイコン

勝家

これは大事なことにございます。若輩の小姓連中だけでは心許ないことですぞ。

織田信長アイコン

信長

小勢ならば、たとえ敗れたとしても一里の間で多くの者が討たれることはない。
このようなところで大勢が敗れれば、退きにくいものだ。小勢ならば険を要して引くことはたやすい。このはかりごとはきっと図にあたるぞ。

柴田勝家アイコン

勝家

・・。なるほど。

これを聞いた勝家はすぐさま篝(かがり)を焚ききってしまうと一里ほど引き下がっていった。そして信長は梁田出羽守・佐々成政・中条将監を呼び寄せ、今日の殿軍を命じ、1番を梁田、2番を佐々、3番を中条と決めた。

--浅井陣営・小谷城--

一方の浅井長政は夜が明けて織田の兵が引くのをみて、朝倉の援軍がくる前に討って出るつもりでいた。

浅井久政

長政!朝倉の助けを待たずに出るとは、正気なのか!?

浅井久政アイコン

浅井長政

くっ!・・・止むをえんのか。

浅井長政アイコン

父・久政がしきりにこれを諌めたため、長政は踏みとどまるしかなかった。

浅井家臣ら

家臣ら:敵が引いていくこの機を逸するとは・・。

家臣アイコン

浅井の家臣たちは討って出ないことをののしり、6百ほどの兵と申し合わせ、夜が明けるのを待っていた。

--撤退戦が開始--

そして夜明けになり、梁田が2百ほどで殿軍を務め、その次に佐々成政、さらに中条とそれぞれ2百に足らぬ小勢を三段がまえに立ち並べ、落ち着いて退くところへ、浅井軍が討って出てきた。

梁田はこれを討ち払って退こうと目をくばった。島弥左衛門・大田孫左衛門が真っ先に進んで討ち入り、手ごろの敵を討ち伏せ、次の殿役である佐々成政に渡そうとするところ、浅井軍がドっとかかってくる勢いに押したてられて引き下がった。

浅井軍

浅井軍:撃てーーーーー!

家臣アイコン
佐々成政アイコン

佐々成政

くっ!

成政がこれを受けて立ち留まるところを浅井衆は鉄砲を撃ちかけてきて、佐々が少しひるんでいると、浅井軍がまた攻めかかり、成政隊は押し立てられたが、成政が殿をして静々と退くところへ、信長の本陣の馬廻り、織田金左衛門・生駒八左衛門・平野甚右衛門らは、今度の殿は大事だとして佐々を見失うまいと走りつけ、とって返して戦ったので、毛屋七丞・浅井新六らは戦死した。

佐々成政アイコン

佐々成政

おのれ、浅井めーーー!

浅井軍は大勢なため、ひるまずにかかってくるので成政はまた引き目になり、みずから5、6度小返ししてから中条に渡した。

中条隊が受け取ったものの、浅井軍の意気込みに中条も浮き足立った。しかし、一里程行くと三田村の向こうに柴田勝家隊が3千ほどで備えを立てて待っていたのに渡すや、柴田も受け取って殿をする。

浅井軍と柴田軍とは巳刻(午前10時頃)から申刻(午後4時頃)まで20町ほどあるところを引きかねて互いに競り合った。信長は雑人にまぎれて竜ガ鼻へ引きとり、森・佐久間・坂井・秀吉らにそれぞれ段層をつけて順に備えをたてさせた。

合戦はこのように続いたので、浅井勢もついに引きとった。この戦いを八相の退き口という。


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