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【名場面】信長の威勢に恐れをなす美濃の刺客(1559年)

※『信長公記』『名将言行録』より

永禄2年(1559年)、信長が上洛したときのことである。

信長は思い立って80余人を引き連れて上洛、奈良・堺をはじめとして地形や風俗にいたるまで見物して、京で将軍足利義輝に謁見して数日滞在した。

一方でこのことを知った美濃の斎藤義龍は、配下の屈強の者らに信長を狙撃するよう命じた。しかし、この義龍の放った刺客は織田家中の "丹羽兵蔵" という者の機転によって発覚することになる。

その丹羽兵蔵は信長の一行とは別に京都へ上ったのだが、上京の途中でたまたま義龍の放った刺客たちと出会い、琵琶湖で彼らが乗った舟に同船した。

---舟中にて---

美濃の刺客ら

刺客A:ん?そなたはどこの者か?

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丹羽兵蔵

それがしは三河の者です。尾張を通って来ましたが、あの国では信長公の威勢に皆遠慮している様子だったので、気を付けて来ました。

すると、彼らの中の一人が言った。

美濃の刺客たち

刺客B:フフフ、上総介(=信長)の運もそう長くはあるまい。

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丹羽兵蔵

??

彼らはいかにも人目を避ける感じで話していたことも怪しかったため、兵蔵は後をつけて彼らが泊まった近くに宿をとった。そして一行の中の小利口そうな童を手なずけて仲良くなり、話を聞きだした。

---兵蔵らの宿近辺---

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丹羽兵蔵

あの方々は湯治にでも行くのか。一体何者なんだ?

刺客一行の童

ああ。湯治ではありませぬ。美濃から大事な命を受けて上総介殿を討ち取るために上洛するのです。

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丹羽兵蔵

!!!・・・。(なんと!!)

童は兵蔵が三河の者ということで気を許していた。彼らの名は「小池吉内・平美作・近松頼母・宮川八右衛門・野木次左衛門・その他ということであった。 そして夜になり、兵蔵は供の衆にまぎれて彼らの中で中心人物たちに近づき、こっそり盗み聞きをした。

美濃の刺客たち

主犯格A:かくかくしかじか・・・。鉄砲で撃つのには何の面倒もあるまいな。

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---京都---

彼らが信長を討とうとしていることを知った兵蔵は、翌日に先まわりして京都への入口を見張り、彼らが来て京都の宿に入ったを確認すると、その宿がわかるように目じるしを付けた。

その後、兵蔵は急いで信長の宿所を探し当て、番の者に言った。

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丹羽兵蔵

ハァ・・ハァ・・。国元から至急の用件でお使いに参りました。金森殿か蜂屋殿にお目にかかりたい。

そして、かくかくしかじか・・と話を聞いた金森長近と蜂屋頼隆の2人はただちに事情を信長に報告し、信長は兵蔵を呼びだした。

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信長

彼らの宿を見極めておいたか?

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丹羽兵蔵

はい、二条蛸薬師近くの宿に、みな一緒にいると存じます。宿の門柱を削っておきましたゆえ、間違えることはございません。

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信長

うむ。大義であった。

それから相談をするうちに、夜も明けると信長は言った。

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信長

その美濃の者らは金森が見知っている者どもなら、早朝にその宿に行ってみよ!

金森は例の宿へ兵蔵とともに向かい、宿の裏から侵入して一同に会った。

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金森長近

昨夜、そなたらが上京したことは信長公も御存じゆえ、こうして参ったのでござる。

美濃の刺客たち

刺客A:ええっ!?
刺客B:あわわわわ・・

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金森長近

信長公に御挨拶に行きなされ。

信長が知っていると聞いた彼らは血相を変えて仰天し、そして翌日になって、信長が小川表(=京都市上京区)を見物していたところで対面したのである。

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信長

汝らはこのわしを討つため、美濃からわざわざ上京したと聞いておるぞ。
その志はあっぱれだが、未熟者の分際でわしを狙うなど、カマキリが馬車に立ち向かうようなものだ。
できるものなら、今ここでやってみよ!

美濃の刺客たち

刺客A:そ、そ、そのようなことはめっそうもないことでございます。
他5名:あわわわわ・・

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こうして彼ら6人は進退に窮してしまったのであった。 ーー

これを聞いた京の町衆は信長の言動を2通りに評した。

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京の町衆

町人A:一城の主の言葉には似つかわしくないねえ。。
町人B:いやいや、若い人にはふさわしいよ!

こうして信長は数日後に京を出立し、清洲へ帰城したのであった。


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