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浅井・朝倉を撃破!姉川の戦い(1570年)

姉川の戦い

信長は先の1570年(元亀元年4月)の金ヶ崎の戦いで妹婿の浅井長政に裏切られ、手痛い退却戦を経験。このため、長政への報復戦で軍備を整えるために一旦美濃に帰国していた。

一方、長政は信長との対決に備えて越前の軍勢を北近江に呼び入れ、長比(滋賀県東浅井郡湖北町)と苅安(滋賀県米原市)の2か所に砦を構え、一方の信長は浅井方の堀秀村、樋口直房を調略により味方に引きいれるのであった。

そしていよいよ、信長が報復のために動きだす。

6月19日、堀秀村、樋口直房の寝返りを知って動揺した長比と苅安の砦の浅井方の兵は退去。そして、織田勢は長比に入った。

6月21日、信長は小谷城への攻撃を開始。森可成・柴田勝家・佐久間信盛・蜂屋頼隆・木下藤吉郎・丹羽長秀らに命じて、小谷城の城下町を隅々まで焼き払わせた。

6月22日、信長は兵を引くことになり、殿の部隊に簗田広正・中条家忠・佐々成政の三人に指揮をさせた。無事に撤退してこの日は八島(滋賀県長浜市)にて野営。

6月24日、織田の軍勢は小谷城の南にある横山城を四方から包囲し、信長自身は竜ヶ鼻(滋賀県長浜市)に布陣。そして、これに徳川家康も合流して同じく竜ヶ鼻に陣を構えた。
一方、浅井方にも朝倉景健率いる8,000の援軍が到着。朝倉勢は小谷城の東にある大依山(滋賀県長浜市)に布陣。これに浅井長政の兵5,000程が加わり、浅井・朝倉連合軍は合計13,000となった。

6月27日、浅井・朝倉方は陣を引き払って兵を引いたように見えたが、翌6月28日未明には姉川を前にして軍を二手に分けて野村・三田村にそれぞれ陣を置く。これに対し、一番合戦として西の三田村で徳川家康の軍勢が対戦。東の野村には信長のお馬廻衆と西美濃三人衆(稲葉良通・氏家卜全・安藤守就)が対戦。
午前6時頃に戦闘が開始。浅井方も姉川を渡って攻め寄せて激戦の展開となるが、織田・徳川連合が朝倉・浅井連合の兵1,100余りを討ち取った。

織田・徳川連合は小谷城まで5.5キロ程の位置まで追撃をかけて、城下に放火。しかし、山高く要害の地の小谷城を陥落させるのは困難と考えた織田方は横山城下へ軍勢を引き上げていった。そして横山城は降伏して退去したため、信長は木下秀吉を城番として入城させたのであった。


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