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【名場面:織田信長】竹生島参詣における女房衆処刑事件(1581年)

『信長公記』に、信長の留守中に外出していた女房衆を成敗したという事件がある。
どうしてそのようなことになったのか?

以下に『信長公記』をもとに物語風にお届けしよう。

竹生島事件

天正9年(1581年)の4月10日のことである。

信長はお小姓衆5、6人を従えて、竹生島(=滋賀県長浜市、宝厳寺・都久夫須麻神社)へ参詣に出かけていた。

-- 近江国・安土城 --

女房衆

女A:フ~~。やっと鬼がでかけたわね・・。
女B:今日は長浜に宿泊するだろうから、羽根がのばせるわ~
女C:私は薬師参りにでもお出かけしようかしら。

家来アイコン

こうして、女房衆は信長が帰ってこないと思い、外出していった。
しかし、女房衆の思惑ははずれ、信長一行はその日のうちに城へ戻ってきたのである。

織田信長アイコン

信長

・・・。これは一体どういうことじゃ?

城中の者

皆:あわわわわわ・・・これは大変なことになるぞ~。

家来アイコン

城にいた者たちは仰天して困惑し、慌てうろたえた。
女房衆は二の丸まで出かけている者や桑実寺(=滋賀県蒲生郡安土町)へ薬師参りに行っている者さえいたのである。

織田信長アイコン

信長

・・・たわけ者どもが。
怠けていた者たちを縛り上げよ!
桑実寺へは使者をだし、わしの前に連れてこい!!

こうして信長は本丸殿舎がもぬけの空であることに激昂。

女房衆から助けを求められた桑実寺の長老は「お慈悲をもって女房衆をお助けください」と慈悲を願うが、信長はこれを許さず、女房たちと一緒にその長老も含めて成敗してしまった・・・。


女房衆はみな、信長の行き先が遠路であるため、日帰りできずに長浜に宿泊するだろうと考えていたという。

それもそのはずで、安土から水陸あわせて片道十五里(約59キロ)、往復三十里(約118キロ)の行程だったというのだから、 当時で普通に考えたら到底日帰りで行けるような距離ではないのである。

信長が並はずれた気力・体力をもっていたということなのだろう。

ちなみに"成敗"としか表現されていないため、女房衆らが殺害されたかどうかは定かではない。


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