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高山右近

高山右近(たかやま うこん、1552-1615年)は信長・秀吉の家臣で代表的なキリシタン大名。摂津国人の中川清秀は従兄弟とされる。

経歴

幼少のころ、父がキリシタンだったため、キリスト教の洗礼を受けて”ジュスト”の洗礼名を得る。父・高山友照(洗礼名はダリヨ)は摂津国島下郡の土豪で、三好氏の重臣・松永久秀に仕えた大和国・沢城城主であった。

信長が上洛して15代将軍・足利義昭が誕生し、三好氏が京を追われると、高山父子は義昭の幕臣で摂津三守護の一人である和田惟政に仕えることとなった。その後、惟政が白井河原の戦い(1571年)で荒木村重らに敗れて戦死すると、惟政の子・和田惟長に相談役として仕えたが、これに反発する和田家臣の讒言もあって対立。

1573年(元亀4年3月)に高槻城に呼び出された際、和田惟長と切り合いになって重傷を負うも、なんとか惟長を追い出し、その後は村重の支配下に入った。しかし、織田家臣だった荒木村重が信長に反旗を翻すと、はじめは村重方についたが、神父の説得もあって信長の前に出頭し、高槻城主としての地位を安堵された。
その後、セミナリオや教会を多数儲けてキリスト教の布教活動に力を入れ、高槻は国内有数のキリシタンの拠点と化した。

信長死後は秀吉に臣従し、山崎の戦い(1582年)、賤ヶ岳の戦い(1583年)、小牧・長久手の戦い(1584年)、四国攻め(1585年)、九州征伐(1586-87年)などに参戦。この間に播磨国明石郡に移封となっている。九州平定後に秀吉がバテレン追放令を発した際、これに応じなかったために所領を没収され、その後は小西行長、のちに前田利家に庇護された。

小田原征伐(1590年)では前田軍に属して従軍。前田利家死後は、利家の嫡男・前田利長にも引き続き庇護を受けた。
江戸幕府による禁教令を受けて、1614年(慶長19年)には国外追放の命を受けて加賀を退去し、マニラへ渡ったが、翌年に現地で病死した。

略年表

  • 1552年(天文21年)、誕生。
  • 1564年(永禄7年)、キリスト教の洗礼を受ける。
  • 1568年(永禄11年)、義昭の上洛後、父とともに和田惟政に仕える。
  • 1571年(元亀2年)、和田惟政が荒木村重らに敗れて戦死。惟政の子・和田惟長に仕える。
  • 1573年(元亀4年)、高槻城に呼び出され、和田惟長と切り合いになるも、惟長を追い出す。この後、村重の支配下に入る。
  • 1578年(天正6年)、荒木村重が信長に反旗を翻す。悩んだ末、信長の前に出頭、このことで再び高槻城主としての地位を安堵される。
  • 1582年(天正10年)、山崎の戦いでは秀吉方の先鋒を務める。
  • 1583年(天正11年)、賤ヶ岳の戦いに参戦。
  • 1584年(天正12年)、小牧・長久手の戦いに参戦。
  • 1585年(天正13年)、四国攻めに参戦。同年、播磨国明石郡に新たに領地を6万石与えられ、船上城を居城とする。
  • 1587年(天正15年)、バテレン追放令後は領地と財産をすべて捨て、しばらくは小西行長に庇護されて小豆島や肥後国などに隠れ住む。
  • 1588年(天正16年)、加賀・金沢城主の前田利家に招かれて庇護を受ける。
  • 1590年(天正18年)、小田原征伐では前田軍に属して従軍。
  • 1599年(慶長4年)、前田利家死後、利家の嫡男・前田利長にも引き続き庇護を受ける。
  • 1609年(慶長14年)、越中射水郡関野に築かれた新城(高岡城)の縄張を担当。
  • 1614年(慶長19年)、家康によるキリシタン国外追放令を受けて加賀を退去し、マニラへ。
  • 1615年(慶長20年1月8日)、死去。享年64。


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