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【名場面:織田信長】会見で斎藤道三の度肝を抜く(1553年)

信長は周囲から「大うつけ」と呼ばれていた青年期に道三娘・濃姫と政略結婚し、道三と初対面したときに道三を驚かせている。

道三は娘婿の信長が本当にうつけなのかどうか、確かめたくなって会見を申し入れ、信長を驚かそうとするが、逆に度肝をぬかれたという話が伝わっている。さっそくその内容を『信長公記』よりみてみよう。

正徳寺の会見

天文22年(1553年)、正徳寺(=現在の愛知県一宮市)で美濃の斎藤道三が信長と初めて会見をした時のことである。

道三は近頃、人々から「婿殿は大馬鹿者ですぞ」と聞かされており、「信長はそうではない」といつも言っていたが、道三は自信がなくなったのか、信長に実際に会って真偽を見極めてみることにした。
信長は道三の申し出に遠慮もせずに承諾し、木曾川・飛騨川という大河を舟で渡り、出かけて行った。

-- 尾張国正徳寺 --

道三は会見の前準備として、7~800人程の家臣に上品な身支度をさせて正徳寺の御堂の縁に並んで座らせており、信長を迎えたときに驚かせて笑ってやろうと企んでいた。

斎藤道三

ふっふっふっ、大うつけがどれ程の器量を持っているのか、この目で確かめてやるわ。

斎藤道三アイコン

その上で、道三は町はずれの小家に隠れて、信長が来るのを待って覗き見しようとしていた。

すると信長の行列がやってきた。

斎藤道三

!!!

斎藤道三アイコン

信長の姿はいつもの "たわけスタイル" であったが、引き連れているお供衆は7~8百人ほどで柄三間半の朱槍500本、弓・鉄砲500挺を持たせるという立派な装備であり、元気な足軽を行列の前に走らせてきた。

さらに、会見場所である寺に着いたところで、信長は屏風を引きまわし、さっと立派な正装に着替えたのである。

信長家臣たち

家臣A:おおお!!なんと立派な!
家臣B:(・・さてはこれまでのたわけぶりは、わざとなされていたのか!)

家来アイコン

この信長の身支度を見て、織田家中の者たちはみな肝をつぶし、誰もがしだいに事情を了解した。

信長は御堂へ出ると、縁の上がり口で道三家臣の堀田道空が出迎えて「お早くおいでなさいませ」と声をかけられるが、信長は知らんぷりして、道三家臣らが居並ぶ前をすいすいと通り抜けて、縁の柱に寄りかかっていた。

しばらくして、屏風をおしのけて道三が出てきた。

織田信長アイコン

信長

・・・・・

斎藤道三

・・・(くっ!生意気なやつめ!)

斎藤道三アイコン

信長はそれでもまだ知らん顔をしていたので、堀田道空が近づき、「こちらが山城守殿(道三)でございます」と言うと、

織田信長アイコン

信長

お出になったか。

そう言って敷居の内へ入り、道三に挨拶をしてそのまま座敷に坐った。
そのうち、道空が湯漬け(だし味のついた湯をかけた飯 )を給仕した。そして互いに盃をかわし、信長と道三の対面は滞りなくお開きとなった。

斎藤道三

・・・また近いうちにお目にかかろう。

斎藤道三アイコン

道三はにが虫をかみつぶしたような様子で、そう言って席を立った。

道三が信長に見送られて帰るとき、道三の兵の槍は短く、信長の兵の槍が長いのを見て、道三はおもしろくなさそうな顔で、ものも言わずに帰って行った。

そして帰路の途中で道三の家臣が言った。

道三家臣

どう見ても信長殿は阿呆でございますな。

家来アイコン

斎藤道三

だからこそ無念じゃ。この道三の息子どもが、必ずあの阿呆の門前に馬をつなぐことになろうよ。

斎藤道三アイコン

と言った。そして、それ以後は道三の前で信長を馬鹿者呼ばわりする人は1人もいなくなったという。


道三はこの会見で信長の器量を見抜いたことがうかがえる。 道三が度肝を抜かれたのは、信長がうつけの格好から正装になったことよりも、長槍500本、弓・鉄砲500挺という、家臣たちの武装にあった考えられている。 信長は道三の予言どおり、道三亡き後の美濃国を攻略し、岐阜城を居城としているのである。


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